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「ぼくはあの時4年目の何も知らない若造でした。小山正明や三宅秀史らもそうでしょう。あの時の若手は、何が悪いかもわからないまま、気がつけば、明確な意図を持っていた一部の選手たちとフロントの権力闘争に巻き込まれていました。ぼくはあの事件が、マスコミの過剰な報道も含めた、タイガースに延々と受け継がれていく“お家騒動”の歴史のはじまりだったような気がしているんです」

 この藤村排斥事件によって、タイガースにおけるフロントと選手の闘争の歴史が幕を開けた。そして、事件の顛末を連日詳細に報じたスポーツ紙が軒並み売り上げを伸ばしたことで今日に続く過剰な報道合戦が始まったともいわれている。

 この時代。松木謙治郎と藤村富美男、吉田の記憶に鮮烈に刻み込まれている監督の狭間、ほんの小さな隙間に彼はいた。

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©文藝春秋

「岸さんはまったくの異質です。ほとんど印象がのこってないんですよ」

 第8代監督・岸一郎。藤村富美男が代理監督となる1955年シーズンにおける、開幕から33試合。たった2カ月しか指揮を執らなかった謎の老人。記憶からも長きにわたりエアポケットのように抜け落ちていたであろうその名を耳にして、吉田義男はきょとんとした表情を浮かべた。

「……岸一郎監督。ええ。ぼくが3年目の時の監督さんですね」

 名前と年代は出てきたが、それ以上の言葉が続いてこない。

「……ほかの監督さんにはそれぞれ思い出が残っていますけど、この岸さんはまったくの異質です。申し訳ないのですが、ほとんど印象が残っていないんですよ。就任された時にはもうだいぶお年を召していらっしゃって、それまでの監督さんだった松木さんや諸先輩方のような猛虎というには程遠い、やさしいおじいさんという感じでした。好々爺といいますかね。やさしくて物静か。どこか寂しそうでね」

 新人の年から2年間、大将の器たる松木謙治郎の姿を見てきた吉田にとって、監督としての岸一郎はあまりにも薄味だった。いや、彼でなくとも、伝統的にタイガースの首領たる監督は、球団創設以来、森茂雄や石本秀一のような学生野球の名伯楽。若林忠志、松木謙治郎、藤村富美男という猛虎の名に相応しい生え抜きの豪傑が務めてきたのである。選手もメディアもファンですら、この無名の老人のタイガース監督就任には折れるぐらい首を傾げたことだろう。