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「グラウンドでの岸さんの記憶はまったくと言っていいほど残っていないんですけどね。ただ、ぼくが新人の時のタイガースはおっかない先輩たちばかりで、エラーでもしてベンチに帰ろうもんなら『おまえナニをエラーしとんねん』って怒声が飛んでくる、とんでもなく緊張感のある時代ですわ。そんな場所へひょっこり岸さんみたいな温厚なおじいさんが急に入ってきてもね……タイガース歴戦の選手たちにはまったく相手にはしてもらえなかったでしょうね。おそらく……そういう感じだったんちゃいますかね」

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岸一郎の監督就任は“歴史の分岐点”だったかもしれない

 当時の岸一郎よりも年を重ねた88歳の吉田義男が、どこか申し訳なさそうにつぶやく。

「しかし、岸さんを取材するという発想は面白いですなぁ。考えてみれば、これは、ぼくがタイガースに来て最初のお家騒動かもしれません。監督としての在任期間は半年もない。タイガースの長い歴史から見ればほんのひとコマに過ぎないですけど、まぁあの時代の流れを振り返ってみると、“歴史の分岐点”と言ったらオーバーかもしれないですが、岸さんもタイガースの歴史に対しての何かしらのお役をなさっているんでしょうね」

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 阪神タイガース八十余年の歴史のなかに埋もれていた謎の老人監督、岸一郎。彼はいったい何者で、どこから来たのか。そして温和なド素人の老人はなぜ“タイガースの監督”という猛虎たちの長に起用されることになったのか。

 そのゆくえを辿ることで、大いなるけったいな球団、阪神タイガースの姿が見えてくるような気がしていた。