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丸太や角材でめちゃくちゃに強打

 記事では、革マル派全学連の馬場素明委員長が同派による犯行を認め、同日午後零時半過ぎに開いた記者会見の内容も伝えていた。「8日夕、神奈川県相模原市の米軍戦車搬送に対し阻止行動を展開するため革マル派が早大構内で決起集会を開いたが、この中で川口君が“スパイ活動”をしているのを摘発した。自己批判を求めたところ、事実を認めたので、さらに追及しているうちにショック症状を起し死んだ」「スパイ活動を批判する中で発生した事件である」という革マル派の見解を伝えた後、「革マル派は川口君を中核派だとしているが、警視庁では確認していない。」と付記されていた。

 翌日の朝日新聞の朝刊では、東大法医学教室による司法解剖の結果も報じられた。

「死因は、丸太や角材でめちゃくちゃに強打され、体全体が細胞破壊を起してショック死していることがわかった。死亡時間は8日夜9時から9日午前零時までの間とみられる。

 

 体の打撲傷の跡は40カ所を超え、とくに背中と両腕は厚い皮下出血をしていた。外傷の一部は、先のとがったもので引っかかれた形跡もあり、両手首や腰、首にはヒモでしばったような跡もあった。」

 さらに、その下には「中核派 川口君はシンパ “断固反撃”と発表」という小さな見出しで、中核派の政治局員が「川口君は、ときどき中核派の集会に参加していたシンパ的な学生で、活動家ではなかった」と発表したとあり、「事件の1週間ほど前のクラス討論で、川口君が、革マルの方針に批判的だったため、中核派の学生ときめつけられたのではないか」という推論をもとに、「中核派と間違えて殺した以上、断固反撃する」と語ったと書かれていた。

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怒りと恐怖という二つの感情

 私が事件を知ったのは、川口君の遺体発見が報じられた9日の夜だった。

 ボート部の合宿所で新聞の記事を読み、思わず体が震えた。すぐ数人の級友たちに連絡を取り、情報を集めた。川口君が私たちと同じJ組の1年先輩だったことがわかり、さらにショックを受けた。

 翌10日、私はとりあえず語学の授業に出た。革マル派は文学部のキャンパスでは集会やデモはしておらず、一見すると普段と変わらない光景だったが、キャンパスを行き交う学生たちに、革マル派への怒りと恐怖という二つの感情が広がっているのが明らかに感じられた。

 1年J組の中国語の授業には、普段なら、前年に単位を落とした2年J組の先輩たち、つまり川口君の同級生も何人かは出席していた。しかし、この日、先輩たちの姿はなかった。クラスメートの突然の悲報に、授業どころではなかったのだろう。私たちのクラスは、2年J組とのつながりが深く、クラスコンパなどに飛び入り参加してくれる先輩たちも多かった。私自身は、川口君のことを直接知っていたわけではなかったが、テレビのニュースで流れた川口君の写真を見た級友たちが、「教室で見かけたことがある」と話していた。

 絶対に革マル派は許せない。とにかく、何かしなければ。私も私の級友たちも、そんな思いを次第に募らせていった。