この施設が地震で損壊した。直したり、新規導入したりするには、まず港を再建しなければならず、それにはかなりの時間がかかる。輪島港が復旧・再建されない限り、金沢の岩ガキ漁はできないのだ。
住宅の被害認定が「一部損壊」とされ、仮設住宅に申し込みできず
海女を追い詰めているのは海の被害だけではない。
住宅が損壊して住めなくなった人もいる。奈津希さんと始さんもそうだった。
#1で述べたように、門木家の3階建て住宅は基礎から傾いている。玄関の戸もまるで自動ドアであるかのように開いてしまう状態だ。夫妻は「修理には1000万以上かかる。今後も大きな地震が想定されているのに、小手先の修理で住み続けるのはあまりに危険」と、建て直しを決意した。
しかし、市の被害認定では「一部損壊」などとされた。
行政からの支援は半壊以上かどうかで大きく変わる。一部損壊だと被災した建物の解体すら自費になる。「仕事もなくなってしまったのに、どうやって払えばいいのか」と奈津希さんは悩む。
応急仮設住宅への入居も一部損壊では申し込みさえできず、住むところがない。
そこで、再調査の申し込みをしたのだが、「輪島市は全戸の被害認定が終わってからでないと、再調査はしてくれません。なのに作業が遅れていて、5月以降に再調査を行うと言われました」と奈津希さんは語る。それまで2次避難所の金沢市のホテルに身を寄せることはできるのか。
仕事、家、家族…3カ月が経っても全く見通しが立たない現実
子供のことも心配だ。
4人のうち長男は金沢で就職して独立、長女は兵庫県神戸市の専門学校に通っている。
二女は今春、輪島市内の高校に進学した。
「先生に『住むところがありません。どうやって通えばいいですか』と尋ねるのですが、『そうですねぇ……』と、そこで会話が終わってしまいます。先生も答えられないのです」と奈津希さんは言う。
「二女の友達の中には家に住める子もいます。そうした子のお母さんが『うちから通わせてもいいよ』と言ってくれるのですが、数日ならお願いできても、いつまでか見込みも立たないのに迷惑はかけられません」と奈津希さんは話す。
末っ子の三女は小学生だが、やはり住むところがないので通学できない。「オンライン授業が行われているので、当面はこれでしのぐしかありません」と奈津希さんは語る。
「これからどうなっていくのでしょう。仕事も、家のことも、全く見通しが立ちません。地震の発生から3カ月が経ったというのに何も変わらないのです。仕事を失い、解体費用も出せない人の中には、損壊した自宅はそのまま放置して金沢に移ろうかと考えている人もいます。これで本当にいいのでしょうか。輪島はどうなってしまうのか」
悩みはあまりに深い。