被災で海に出られなくなったのは漁師だけではない。

 石川県輪島市の海士(あま)町では、約130人の海女(あま)が仕事を失った。

 流れの激しい日本海に潜ることから「日本で最強の海女」と言う人がいるほどのプロ集団だ。卓越した技術は国の重要無形民俗文化財に指定されている。しかし――。能登半島地震で運命が変わった。

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午後4時6分、隣の珠洲市で震度5強の地震が発生

 あの日、2024年1月1日。門木奈津希(かどき・なつき)さん(43)は家でゆっくりしていた。

門木始さん(左)、奈津希さん夫妻(金沢市の2次避難所で)

 穏やかな元旦。近くにある実家へ年始の挨拶に行き、昼間に少しお酒を飲んだ。心地よく酔いが回る。自宅に帰って、「夕食の支度までの間、ちょっとだけ」とまどろんだ。

 その時、突き上げるような揺れに襲われた。

 午後4時6分、隣の珠洲(すず)市で震度5強を計測する地震が起きたのだ。

 輪島市は震度4。だが、それ以上の揺れに感じられたのは、3階建ての自宅の最上階にいたせいだろうか。海士町の漁師の家は、港町特有の狭い敷地に建てられていて、1階に作業場が必要であることから、多くが3階建てになっている。門木家の1階は作業場ではなかったが、他の漁師の家と同じく狭い敷地の3階建てだった。

 奈津希さんは海女だ。

 375年前に加賀藩主から土地を拝領して定着して以来、漁をなりわいにして独自の文化を継承してきた海士町の一員である。海士町では伝統的な漁法として海女漁を受け継いでおり、奈津希さんは「輪島の海女漁保存振興会」の会長として、市内の海女を取りまとめる立場だった。

ゆがんだ家。お飾りは海士町のしるし(輪島市)

 夫の始さん(50)は底引き網漁船で操業する一方で、夏場のシーズンは海女漁の船頭もしてきた。海女漁に関係する漁業者で作る磯入(いそいり)組合の組合長を務めており、海士町自治会の副会長でもある。この日は近所で新年会があり、出掛けていた。

「津波が来るぞ」階下から長男が声を張り上げる

 地震の発生時、家には6人がいた。奈津希さん、始さんの母(78)、当時は中学3年生だった二女(15)、小学4年生だった三女(10)。そして金沢市で就職した長男(20)と、兵庫県神戸市の専門学校に通っている長女(19)も帰省していて、一家がそろっていた。

 奈津希さんは3人の娘と3階にいた。

 メディアではあまり報じられなくなった1回目の揺れだが、奈津希さんにはかなり激しく感じられた。眠気など瞬時に吹き飛んでしまう。「どこで地震が起きたの?」。娘に聞くなどしているうちに、また揺れが始まった。

 最初の地震から4分後の午後4時10分のことである。1回目とは比較にならないほど激しく、今度は立ち上がることすらできなかった。テレビの台が飛び跳ねて、そこらじゅうを走り回る。輪島市内を震度7の烈震が襲ったのだった。