揺れはなかなか収まらなかった。
「津波が来るぞ」。階下から長男が声を張り上げる。長男は久しぶりに会う友達が呼びに来たため、1階に下りたところだった。食器棚が倒れないよう押さえるのに必死だったが、漁師の息子だけに津波が来るだろうことはすぐに分かった。
1階から出られなくなった始さんの母を窓から引っ張り出す
日本海の津波は来襲が早く、逃げるまでの猶予が数分しかない。これは漁師の常識だ。門木家は海から50mほどの場所にあり、避難は一刻を争う事態だった。
だが、屋内では冷蔵庫が倒れて廊下が通れなくなっていた。奈津希さん自身、恐怖に足が震えて歩けない。
階下から長男が「早く、早く。津波が来る」と怒ったように繰り返す。
奈津希さんは気持ちを奮い立たせて冷蔵庫によじ登り、玄関へ向かった。この時、足にケガをしたようだ。花を植えていた鉢が割れて散乱し、踏みつけてしまったらしい。
ようやくたどり着いた玄関では、下駄箱が倒れていて履物がどこにあるか分からなくなっていた。おろおろしていると、三女が「ママの靴はここにあるよ」と出してくれた。
道路に出ると、近所の人が口々に叫んでいた。
「大津波が来るぞ」
「だめだ。逃げろ」
ところが、始さんの母の姿が見当たらない。1階の自室から出られなくなっていたのだ。長男が機転をきかし、屋外から窓を開けて引っ張り出す。そして背負った。
車で逃げようかとも考えたが、狭い港町の道路は家屋などの倒壊で通れる状態ではなかった。6人は徒歩で高台へ急いだ。
地震後すぐに港へ向かったが、潮が引いて船を出すことができず
一方、新年会に出ていた始さん。最初の揺れの時は「また、いつもの地震か」と軽く考えていた。
奥能登では、珠洲市の付近を震源とする群発地震が2020年12月から起きていて、「輪島でも結構揺れていたのです」と始さんは説明する。
しかし、2回目の揺れはレベルが違った。激しかっただけでなく、長かった。「5分ほど揺れたように感じました」。
実は最大震度7の地震が起きてから2分後、追いかけるようにして地震が起きていた。この地震の最大震度は6強。烈震に烈震が重なり、揺れが長く感じられたのである。
始さんはすぐに港へ向かった。津波が来る時、漁師は船を沖へ出すのがならいだからだ。そのまま係留していたら、陸に打ち上げられたり、ロープが切れて流されたりしてしまう。事実、海女漁に使う漁船の1隻が、津波に呑み込まれて沈没してしまう。
始さんが岸壁に到着すると、他の漁師も次々と駆けつけて来た。ところが、その時にはもう港の海底が見えるほどに潮が引いていた。水深が足りないので、船を出そうにも出せない。
「これだけの引き波になったということは、かなり大きな津波が来る」。始さんは直感した。