さらに大きな問題がある。隆起した港を掘ったら使えるのか。それとも沖合に新しい港を造らなければならないのか。港を再建させる筋道さえ見えていないのだ。
このため水揚げ施設の復旧・整備も方針が示されていない。
いつ、どのようにして漁に出られるようになるのか。漁師や海女には見当さえつかなくなっているのである。
島に戻ることができなくなった定住海女たち
また、海女漁の拠点になっていた舳倉島には近づくこともできなくなった。
海士町の海女漁には2種類ある。輪島から漁船で舳倉島の周辺などに通う「通い海女」と、舳倉島に住みながら潜る「定住海女」だ。鑑札を受けているのは、通い海女が117人、定住海女が14人。
ところが、島は津波に襲われ、住家が呑み込まれたほか、漁協の施設なども被災したと見られている。港にあった船は打ち上げられたり、流出したりした。そのうちの1船は新潟県の海岸に流れ着いた。
発災時に島にいたのは3人。
輪島から救出に向かおうにも、輪島港が隆起して船が出せなかった。舳倉島の港も津波に流された網などが港内に散乱していると見られ、スクリューに絡みつくなどした場合のリスクを考えると近づける状態ではない。
このため3人は2週間後、船ではなくヘリコプターで救出された。
以後は誰も上陸できていない。市内の海洋土木業者が調査のために船で近づこうとしたが、無理だった。
定住海女は島に戻ることさえできなくなったのだ。
輪島港の浄化施設が地震で損壊 岩ガキ漁も困難になる
では、通い海女はどうか。
例年、4月の声を聞くと、海へ入る準備が始まる。金沢の沿岸で岩ガキ漁が始まるからだ。
金沢港の被災はそれほど大きくなく、漁船の被害もなかったので、漁が続けられている。ならば岩ガキ漁だけはできるのではないか。ところが、これも難しくなった。
岩ガキ漁が行われるのは4月下旬から6月だ。輪島から午前3時半に車に乗り合わせて出発し、午前7時~10時の間に潜る。陸から歩いて海に入ったり、小型漁船に相乗りして出たりする。このため小型漁船は7隻を年間を通じて金沢港に停泊させている。
7隻に地震の被害はなかった。漁具も失われていない。岩場も十分に漁ができる環境にある。
だが、金沢沿岸で岩ガキ漁をしていたのは、海士町の海女だけだった。水揚げは午後2時までに車で持ち帰り、輪島港の浄化施設に24時間浸けてから出荷していた。
カキは殺菌のため浄化しなければならないのである。