いまも西国街道の道沿いには歴史を感じさせる建物もいくつか残っているようだ。そのひとつが、萱野三平の邸宅跡。
萱野三平とは、赤穂藩の藩士で討ち入りに参加することなく自刃した江戸時代の御武家様。もともと萱野一帯を治めていた豪族の血筋で、江戸時代も萱野に邸宅を構えていた。三平さんもそこで生まれ、少年時代に浅野内匠頭に仕えることになったという。三平さんについては赤穂浪士討ち入りにまつわる物語では決まって登場するので、詳しくはそちらを参照していただくのがいいでしょう。
ちなみに、キューズモールに直結する高架上の改札からそのまま駅を出ると、すぐ左側に新御堂筋を跨ぐ陸橋が通っている。その陸橋の名は「かやのさんぺい橋」。当地出身の歴史上の人物として、萱野一帯ではそれなりに特別な存在になっているのだろうか。
“かつての終着駅”「千里中央」に戻る。乗り換えのために通路を歩くと“あるもの”が見えた
と、このような歴史を感じさせる要素もありながら、やはり箕面萱野駅はキューズモールの存在と一体不可分といっていい。もう20年の歴史を刻んできたキューズモールも、箕面萱野駅開業でさらに飛躍することになるに違いない。大都市郊外にできた新しい駅と、大型商業施設。その組み合わせは、人の流れを変える力がある。
キューズモールの賑わいを感じながら、高架の箕面萱野駅から再び電車に乗った。ふたつ戻れば、元終着駅の千里中央駅だ。千里中央駅には大阪モノレール線も乗り入れる。乗り換えのために通路を歩くと、傍らに見えるのは廃業して久しい「千里セルシー」。
千里ニュータウンが生まれてまもない1972年に華々しくオープンした商業施設も、半世紀が経ってすっかり廃墟になった。廃墟の千里セルシーと、箕面萱野のキューズモールの賑わいと。時代の移り変わりを感じさせる、終着駅の風景である。
写真=鼠入昌史