ザ・幹線道路の新御堂筋を横目に歩く。看板を見ていると「あること」に気づく
そんな疑問を抱きながら町を歩く。新御堂筋はとにかく交通量が多いザ・幹線道路。一部では地下鉄延伸に伴う工事がまだ続けられているようだが、オフィスビルも建ち並んでいて、まったくの都市である。千里中央駅周辺は、少し歩けばすぐに団地群の中に入ることになるが、この一帯はどちらかというとビジネス街のような印象なのだろうか。
少し新御堂筋を歩き、脇道に入る。新御堂筋の西側は、すぐに住宅地になっている。いっぽうで、東側は大きなオフィスビルがひしめくエリア。看板を見ると、アパレル関係の会社が多いようだ。
船場と言えば、もともとは繊維問屋が集まっていた町だ。ただ、高度経済成長真っ只中の1960年代には繊維問屋で荷下ろしをするトラックが渋滞を引き起こして問題になっていた。
そこで集団移転することになり、その移転先が箕面の地。折しも千里ニュータウンの造成が始まっていた時期で、そこに隣接していたことや新幹線の新大阪駅、また新御堂筋など交通の便に恵まれていたことが大きかったのだろう。
かくして、1970年に箕面に新船場という町が生まれた。大阪の船場から、町の機能も町の名前もそのまま引っ越してきたというわけだ。それから半世紀以上が経って、箕面の新船場はようやく鉄道の便に恵まれたのである。
山をめがけてどんどん北へ。次第に風景は変わり…
そんな箕面の船場を歩いて北に抜けてゆく。本当の目的地は、船場ではなく箕面萱野だ。
千里丘陵の北には、北摂山地が横たわる。おおざっぱに言えば大阪平野の北の縁。箕面萱野駅までの道程はその北摂山地を正面に見て歩く旅だ。ただし、船場から萱野まではいったん急な下り坂を降りなければならない。芋川などの小河川が流れているから、それが刻んだ河谷なのだろうか。
この急な下り坂を境に、町の様相はやや変わってくる。それまではオフィス街だったのに、畑も散見するようなのどかな一帯。ニュータウン以前の千里丘陵の風景を、ちょっとだけのぞいたような気分にさせられる。