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 同市のまち並み保存には独特の哲学がある。

 国の伝統的建造物群保存地区に選定されてもおかしくないのに、市などが調査しただけで終わった。選定されれば、どうしても規制が生じる。それよりは住民が自主的に守る道を選んだのだ。

「まちは生き物です。人が暮らせば変化します。その変化を大事にしよう。かわりに違和感のない変化にしようという考えでした。規制を設けなくても、住民が『いいまちだ』と誇りを持っていれば、自ずと残せるのではないでしょうか」と、菊田館長は話す。伝統的建造物群保存地区についても市で担当していた。

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 施策としては、観光客向けではなく、どうしたら住民が住みやすくなるかを最優先にしてきた。

 例えば、歴史的な建物の公有化に際しては、住民用の公衆トイレを次々と整備した。「坂の多いまちなので、買い物や散歩の高齢者が休むのにちょうどいいのです。それを観光客にも使ってもらおうという発想です」と、菊田館長は説明する。

 さらに、公有化した建物は市民が使えるようにした。旧藩主の下屋敷は、離れを文化活動などに開放している。江戸後期の武家屋敷「丸毛家住宅」は、市指定有形文化財であるにもかかわらず、かまどで米を炊いたり、五右衛門風呂に入ったりして、往時の暮らしを体験できる。市は昨年、市外の女性を招くなどしたモニターツアーで、丸毛家住宅に泊まってもらった。

「建物は保存するだけでなく、人が使ってこそ生きる」。菊田館長は言い切る。

市文化財のこんな武家屋敷に泊まるツアーも(丸毛家住宅)

 こうして「残ったまち」では、様々な試みが始まっている。

「臼杵の歴史景観を守る会」の齋藤さんは「臼杵ミワリークラブ」の本尊(会長)でもある。同クラブは妖怪などの伝承を発掘し、まちを元気にしようと活動している。仲間は20人以上。名称は「薄気味悪いクラブ」をもじった。夏休みには、夕暮れ時から妖怪伝承のある場所を子供達と尋ね歩き、最後は肝試しをするのが恒例だ。まち並みが残っているからこそ意味のある催しだろう。

 他にも、蔵でライブイベントなどが行われている。

「待ち残し」とは言う。だが、待つだけではなかった。臼杵の人々は積極的に残してきたのだ。しかも、行政主導の規制ではなく、住民の意思が原動力だった。それがようやく評価される時代になった。

 これをどういかすか。全国的な高齢化の波は、旧城下町も容赦なく襲う。空き家も目立ち始めた。

「待つ」から「使う」へ。そろそろ踏み出す時がきた。

(写真=筆者)