『高丘親王航海記』(澁澤龍彦 著)

 世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。

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 三月に公開されたアニメ映画『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』は、実在の作家たちが「異能」と呼ばれる超能力でバトルを繰り広げる物語だが、その中で敵役としてスタイリッシュで頽廃的な存在感を示していたのが澁澤龍彦だ。往年の異端文学の泰斗もアニメキャラになる時代が来たかと感慨に耽りつつ、彼の晩年の小説『高丘親王航海記』を思い返していた。

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 高丘親王とは、平安時代初期の実在の皇族。政変により皇太子を廃され、出家して空海の弟子となり、晩年は唐に渡り、更に天竺(インド)を目指してその途上で死去した。虎に喰われたともいう。本作はこの史実を踏まえつつ、親王の旅路を澁澤らしい博物学趣味・幻想趣味で彩った物語に仕上げている。

 三人の従者とともに天竺へと向かう親王の前には、人語を解する儒艮(じゅごん)や大蟻食い、夢を食べる獏、犬頭人、人食い花などが次々と現れる。彼に天竺への憧れを吹き込んだ父帝の寵姫・藤原薬子(くすこ)の思い出に代表されるエロティシズムの甘い靄(もや)に包まれながら、親王は現実にはあり得ない国々を旅し続ける。親王は作中でよく夢を見るけれども、どこまでが夢でどこからが現実なのかも判別し難い。エルヴェ・ド・サン=ドニや明恵上人の夢日記を愛した澁澤らしく、その遺作は比類なき夢文学として結実した。

 本作は、癌にかかった著者の入院中に執筆された。親王が死を迎える描写には著者自身の境遇が重ねられているが、そこには死への恐怖はない。現世から解放され、新たな世界へと旅立つ歓喜が軽やかに綴られているのだ。闘病のさなかで、ひとはこれほどまでに浄福感溢れる物語を紡ぐことができるのか。その意味でも驚きの一冊だ。(百)

高丘親王航海記 (文春文庫)

澁澤 龍彦(著)

文藝春秋
2017年9月5日 発売

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