高校の授業参観では「お前の母ちゃん、ぜんぜん顔が似てねえな。それに、めっちゃ若くねえ?」などといじられて、冷や汗をかいたことも……。
10歳から児童養護施設で育った、詐欺・悪徳マルチ撲滅系YouTuberのKENZO氏。今明かされる彼の少年時代とは……? 初の著書『突撃!:新宿109 詐欺・悪徳マルチ撲滅活動日記』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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施設暮らし
YouTuberとしての活動する中で、さまざまな人と出会ってきた。そんな時、
「思っていたよりも真面目だね」
「追いかけているテーマは物騒だけど、ちゃんとしているよね」
なんて声をかけてもらうことがよくある。
これは俺の、児童養護施設出身という過去が影響しているのかもしれない。
俺は10歳から児童養護施設で育った。
児童養護施設には1~18歳まで(場合によっては20歳まで)、さまざまな年齢の子どもがいる。施設にくるようになった理由も人それぞれだ。両親がいない、保護者の心身の不調や離婚・再婚による家庭環境の悪化、虐待など、何らかの理由により親元で暮らすことができない子どもたちが集まって暮らしている。
俺が生まれ育ったのは、シングルマザーの家庭だった。
家族構成は、母親とひとつ上の姉、そして俺。生活保護をもらいながら暮らしている貧困家庭だった。
母は慢性的な貧血とうつ病を患っており、満足に働くことができず、家計はいつも苦しかった。小さい頃に印象に残っている食事は、べっこう飴、食パンの耳で作ったラスク……。どうして僕のお母さんはちゃんとしたごはんを作ってくれないんだろう、と不思議だった。夕方、表を歩いていると家々から料理の匂いが漂ってくる。その匂いがうらやましくて仕方がなかったのを覚えている。
当然、お小遣いなんてものもない。当時の俺たちの遊び場は、近所のイオン。友人たちはゲーセンでゲームをしたり、フードコートでハンバーガーを買ったりしていたが、俺はお金がないのでそれをただ見ているだけだった。
そういう家庭環境が影響したのか、俺はいつもイライラしていた。小学3年の頃には、学校の先生に向かって暴言を吐いたり、掴みかかったりするような立派な問題児になっていて、約1年間不登校になってしまった。食事を満足に摂れていなかったせいか、授業にまったく集中できず、席に座っていられないような状態だったのだ。
周囲がそんな状態を見かねたのか、俺は小学4年から三重県津市にある児童養護施設に預けられることになった。姉も一緒だった。
まず児童相談所に連れていかれ、そこで2週間過ごした。そして、これから児童養護施設に向かうというタイミングで母がきた。
「一緒に暮らせなくなった」