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 ふらふらになっていながらも、6日目に先輩に挑戦したりした。やる以上徹夜であり、死ぬ思いで打った。麻雀というゲームが体に合っていたのだろうか、負けはめったになく、おれは強いのだという自惚れが芽生え始めてもいた。

 しかし、打つ相手に恵まれなかった。理科系の学生は忙しくて、他のことにうつつを抜かしてはおれないのである。学校に一週間ぶっ続けで泊まりこむことなどあって、アルバイトも出来ないので資金にも乏しかった。

©文藝春秋

 私のビギナー時代は、阿佐田さんに比ぶべくもなかった。熱中して、一週間居つづけることなど出来なかった。世の中が平和になって、人びとが本業にいそしみだしていたからでもあろう。

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 さて、古川さんときたら、押し黙って、折り目正しい麻雀を打った。ニコリともしないで、丸っこい顔をふくらしつつ打つのである。まるで修行僧みたいだった。

 ツモ牌を、右端でこねくることなどしなかった。長考がはさまるのが唯一の欠点だが、他はマナーの見本みたいな人だった。

 何でも昔、出版社に勤めていたのだそうである。麻雀に凝り過すぎてやめる羽目になり、プロを名乗っているのである。

 字牌を大切に扱う特徴もあった。白発中と一枚ずつあったとしても、他の人が捨てない限り、手中に温存しておくのである。しぼりがきついので、場は重くなった。ポンと一つ鳴いて、千点で和るわけにはいかなくなるのだ。

 捨てないで取っておくので、何回かに一回は、自分の手の中で重なり、ふくれ上がってくる。だから、古川さんの中盤以後の動向には注意しておく必要があった。

©文藝春秋

阿佐田さんは眠っていたはずなのに……!

 ピンフ手をねらう時には、国際安全牌を三つぐらい抱えこんでいることもあった。

 🀝🀞🀋🀌🀔🀕🀚🀚🀁🀂🀃

 というようにである。🀁が切れてきたからテンパイかなと思うと、次に🀂が落ちてくるのである。いつヤミテンに入ったのか見当がつかない不思議な打ち方をした。一杯に張って打たないのである。

 試合が終わって、私は自分が打った譜を貰った。

 それまで、他人のものは見たことがあったけれども、自分のものを手にしたのは初めてだった。どんな風になっているのか、牌を使って並べてみたら、ケタタマシイところが多くて、虚の部分が多いのが目についた。