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菅井は昼食休憩を10分で済ませて対局室へ

 藤井の表情を狙うべく、カメラをローアングルに構えた。撮影が許される時間は短いため、シャッター音を消した状態で、一心にその姿を追い続ける。2日間の対局で室内に入れるのは、それぞれ開始前と昼食休憩明け、封じ手後と終局後の計6回。昼食休憩明けは主催紙と連盟関係しか入室できない。実はこのときが、対局の渦中にいる棋士の表情を最も狙える時間だ。あとで写真を見て気づいたのだが、俯いた藤井の左眼が白目を剝くカットが何枚かあった。思考を高速で巡らせながら、時折、左右上に視線を強く投げかけているのだろう。そのときに目玉がぐるっと上を向いてしまう。ほんの一瞬のため現場では気づかなかったが、残された写真に天才の凄まじい思考の一端を見た気がした。

 

 菅井は初日の昼食を手早く済ませると対局室に戻った。休憩は1時間あるが、少しでも盤の前で考えたい様子だった。2日目の昼食時にも早く戻りそうだと編集者と話していると、退席してからまだ10分も経たないうちにモニターには菅井の姿があるではないか! 慌てて対局室へと向かった。

凄まじい形相がファインダーに飛び込んでくる

 藤井は戻っておらず、少し離れた位置で菅井にレンズを向けた。対局に没頭する棋士からは殺気が漂う。シャッターを切ったら、すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、カメラマンの性として、もっと良いものを撮りたいという欲求も疼く。仕事としては十分なのがわかっていても、この先にもっと素晴らしいものがあるのではないかと思ってしまうのだ。その欲求は被写体が魅力的であるほど強く、このときの菅井がまさにそうであった。

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 何者の介入も許さないような気迫が襲ってくる。そこにカメラを向ける決意を持たなければならない。少しずつ距離を詰め、上半身を盤側に倒し込むようにして構えた。凄まじい形相がファインダーに飛び込んでくる。ゾクゾクするような興奮に襲われる中、シャッターを押し続けた。その間に菅井が集中力を切らすことはなかったと思う。カメラのことなど意中になかったのかもしれない。もしくは筆者が撮ることを、どこか許してくれていたのだろうか? 前夜祭から3日間にわたる撮影は、カメラマンであることの至福を感じる時間であった。

写真=野澤亘伸

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