菅井と藤井の間に空いた、微妙な距離
タイトル戦20回連続勝利の新記録がかかった藤井聡太王将(八冠)に、振り飛車の旗手・菅井竜也八段が挑む。当代屈指の好カードである。6日の前夜祭に先立って記者会見が組まれ、まずはメディア向けに両者の撮影が行われた。注目の中、会見場に入ってきた藤井には、力みや気合といったものが全く感じられなかった。あまりにも自然に歩みより、すっと立ち止まる。大一番を控えた棋士とは思えない佇まいだった。「まるで木鶏のようだな」、と感じた。闘鶏が何事にも動じない最強の状態──。一体何が彼を、21歳にしてその境地に至らせるのか。
後ろから菅井が続く。撮影のために藤井と並ぶのだが、立ち止まった位置が定位置よりも離れていた。挑戦者の研ぎ澄まされた本能が、接近を拒ませているようだった。司会者が菅井にもう少し中央に寄るように促す。菅井は半歩ほど藤井に寄ったが、それでも微妙な距離が空く。まるで二人の間に、弾き合う磁波があるようだった。菅井はこの日までに、いったいどれほど己を追い込んできたのだろうか。いつもは清潔に剃られた口元に無精髭が伸び、まるで山籠りから降りてきた野武士のような風貌だった。眼光は鋭く、虚空を見つめている。研ぎ澄まされた心を何人にも乱されたくないのだな、と思った。カメラのストロボが光る中、菅井の表情が緩むことはなかった。
藤井から漂う絶対王者の風格
翌7日朝、第1局1日目の対局室に入る。将棋取材をしていて最も身の引きしまるのが対局前のこの時間だ。カメラマンたちは壁に背を擦るようにして、狭い対局室で可能な限り両対局者の領域に入らないように配慮していた。コロナ禍以降、取材制限が敷かれて多くの取材陣が詰め掛けることはなくなった。藤井がデビュー後の連勝を続けていた頃、対局室から溢れるほどいた記者やカメラマンは、棋士にとって集中力の妨げにもなっただろう。だが、そうした光景が見る側にもたらす熱狂があったのではないか。今や報道陣の中にも、あのときの高揚は感じられない。
会見ではフワリとした空気を漂わせていた藤井だが、対局室に現れ、床の間を背に座ると絶対王者の風格を滲ませた。無言の圧が押し寄せる。挑戦者は、こんな男と2日間も向かい合うというのか。