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「さっさといなくなれ」母は突然、沸かしたお湯を肩からかけてきた…当時小学生だった被害者が語る、“壮絶な虐待”の記憶

「トラウマは連鎖する」第2回 丘咲つぐみさんインタビュー#1

2024/04/29

genre : ニュース, 社会

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沸かしたお湯を肩から…両親による暴力の数々

 丘咲さんは、大手自動車メーカーの営業マンである父親が28歳、母親が31歳のときに次女として生まれた。両親が何をきっかけに出会い、何歳で結婚したかについては、「わからない」と言う。

「お見合いではないはずです。3歳上に姉がいるのですが、姉を産む前に結婚しているとは思います。母は公務員として働いていたこともあったと言っていましたが、結婚を機に辞めたようです」

 丘咲さんが物心ついた頃には、すでに両親の仲は険悪だった。

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「父は基本的に殆ど喋らない人なんですけど、口を開けば母や私や姉に対してものすごい大声で暴言を浴びせてくるんです。特に母に対しては、私たち姉妹が見ている前でも夕食が気に入らないとかケチを付けるんですが、母はそれを一切無視して取り合わないので、父は怒りがエスカレートして、『俺が稼いできているのにこんなものしか出さない』とか、『ずっと家にいて暇なくせに掃除もできない』など、母の欠点を挙げ連ねていました」

 父親の暴言は長い時は1時間にも及んだというが、その間、母親は父親を無視して夕飯を食べ続けた。父親は言いたいことがなくなると、さっさと自分の部屋に閉じこもることが多かったが、怒りの矛先が丘咲さん姉妹に向かうこともあった。

 そんなとき、母親が父親の暴挙から守ってくれる存在だったのかと言えば、全くそうではなかった。

「私が記憶にある限りだと、もう3~4歳ぐらいの時から、『私の人生はお前のせいでめちゃくちゃになった』『お前は私の奴隷にするために産んだんだ』といった暴言だけでなく、後ろからいきなり殴ってくるとか、蹴って転ばせるとかっていうのは普通にありましたね……」

©yamasan/イメージマート

 父親の暴言、母親の暴言・暴力は、何の前触れもなく突然始まった。

 丘咲さんが小学校に上がった頃、夕食の支度をする母親に今日学校であった出来事を話したくて、「お母さん」と話しかけるが、母親は返事をせず、料理の手を止めない。聞こえなかったのかと思い、何度か呼んでみると、母親は突然振り向いたと思ったら、沸かしていたお湯を丘咲さんの肩からかけた。

 丘咲さんは、熱さとショックで何がなんだかわからなくなった。火傷の痛みで我に返ると、丘咲さんは急いで浴室に行き、冷水シャワーで患部を冷やす。そこへ母親が現れ、追い打ちをかけるように、「お前がいると迷惑だ」「さっさといなくなれ」という暴言を浴びせてきた。

「母は病院にも連れて行ってくれませんでした。当時はそれが虐待だと自覚できず、私は自然と『お母さんの機嫌を損ねた自分が悪い』と自分を責めるようになり、母に対して腫れ物に触るように接する習慣がついていきました」