児童虐待、DV、ハラスメントなどが起こる背景には、加害者の過去の「トラウマ」が影響しているのではないか――。そう指摘するのはノンフィクションライターの旦木瑞穂さんだ。

 旦木さんは、2023年12月に刊行した『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)などで、家庭内で起こる“タブー”を調べていくうちに、親から負の影響を受けて育ち、自らも「毒親」となってしまう「トラウマの連鎖」こそが、現代を生きる人々の「生きづらさ」の要因のひとつではないかと考えたという。

 今回は、虐待被害者支援団体「Onara」の代表であり、幼い頃から両親の虐待を受け続けてきた丘咲つぐみさんに、息子が生まれてからの苦悩と努力の日々を尋ねた。

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 存在しない夫からの暴力に怯え、ついに息子と一緒に家を飛び出した丘咲さんだが、学生時代から続く原因不明の左半身の痛みにより、働きに出ることもままならず、絶望に打ちひしがれる。そんな中、「これだ!」と感じた人生の選択肢とは——。(全3回の3回目/最初から読む

丘咲つぐみさん 本人提供

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孫に暴力をふるう母親

 夫への恐怖心が限界に達していた丘咲さんは、夫と離婚し、再び実家に身を寄せるしかなかった。丘咲さんの姉は結婚して実家を出ていたため、両親と丘咲さんと息子の4人暮らしとなった。

 夫に怯えることはなくなったが、今度は左半身の痛みの悪化により、再び入退院を繰り返すことを余儀なくされる。

 入院している間、息子は母親に預けていた。

 ところが退院したある日のこと。実家に帰宅すると、遊んでいる息子を背後から、母親が突き飛ばしているところを目撃する。

「それ以前にも、息子がちょっと玩具の片付けをしなかったら、それを全部ゴミとして捨ててしまったり、『この子は医者か教師にする』と言って一生懸命教材の資料を取り寄せていたりもしたので、『もう危ないな。離れよう』って決めました」

 息子が2歳になるかならないかのうちに、実家を出て母子2人暮らしをスタートしたが、それでも丘咲さんが入院しなくてはならない時は、息子を母親に預ける他なかった。

希少難病と息子を抱えて

 息子3歳、丘咲さんが28歳になったとき、ようやく丘咲さんの左半身の痛みの原因がわかった。まだほとんど知られていない、脊髄の希少難病だった。

「大学病院で病名が判明し、『どれだけ回復するかわかりませんが、それでも手術しますか?』と聞かれて、私は迷いなく手術を選んだのですが、結局終わってみたら何も変わりませんでした。発症から数年経っていたので、『手遅れです』って言われました……」

 丘咲さんは病院のベッドで横になりながら、人生で何度目かの絶望に打ちひしがれた。ほぼ寝たきり状態で、寝返りがぎりぎり自分で打てるレベルだった。