「このとき、『こんな状態の私が息子を育てていくにはどうしたらいいんだろう』って考えたんです。私に障害があったり、母子家庭だからといって、息子にお金の不自由は感じさせたくない。しっかりと自分でお金を稼げて、時々寝たきりになってしまう私、大学に行っていない私でもできる仕事を考えていたら、病院の待合室に資格の通信講座の雑誌が置いてあったんです」
その中で「これだ!」と思ったのが「税理士」だった。
「税理士ならパソコン一台あれば仕事ができて、自宅開業できる。ベッドで寝たきりでも一定の収入が得られるから、息子と2人で生きていける!」
そう思った丘咲さんは、ベッドの上で税理士の資格取得のための勉強を始めた。
借金と生活保護
その後も入退院を繰り返していた丘咲さんは、退院したタイミングで「母子貸付制度」の利用申請手続きを行った。母子貸付制度とは、母子家庭の母親が就労や児童の就学などで資金が必要となった際に貸付を受けられる制度だ。丘咲さんは貸付期間の2年間で行政から400万円ほどを借り、生活費にあてながら税理士の勉強に打ち込んだ。
入院時は仰向けに寝たまま、鏡にテキストを映して勉強することもあった。
ところが、貸付期限である2年の間に、税理士になるための5つの試験のうち4つには合格できたが、あと1つに合格することができなかった。2年のうち後半は、病気の悪化で勉強どころではなくなってしまったためだ。治療や手術のため入院を余儀なくされたときは、一時保護所に息子を預けた。
「路上生活するにも、息子がいるからできません。『もうだめだな』と思ったときに、生活保護を申請しようと思って市役所に相談に行ったんです……」
ところが、担当したケースワーカーは、「しっかりしたご両親がいるので、まずはご家庭で何とかしてください」の一点張り。両親から受けてきた仕打ちを話しても、全く聞く耳を持たない。それでも丘咲さんが食い下がると、突然個室に通された。
「不思議に思いながら個室に入ると、その途端、ケースワーカーは机を叩いて椅子を蹴り、『お前みたいなのが生活保護を受ける権利があるわけないだろ!』『親に虐待されているのは全部お前が悪いんだ!』と大声で罵倒されました」
この頃、丘咲さんは30歳だった。
丘咲さんが「複雑性PTSD」と診断されたのは40歳を過ぎた頃だ。「複雑性PTSD」は、他人から受けた暴言や暴力でどんどん複雑化して症状が悪化していくということを後に知るが、この時は知る由もない。生活保護の申請で出会ったケースワーカーによる暴言は、満身創痍状態の丘咲さんにとって“致命傷”になってしまう。
生活保護自体は受給できたが、この頃から他人が怖くて外に出られなくなり、家の中にいても「誰かに盗聴されてるんじゃないか」「覗かれているんじゃないか」などと怯えて暮らすようになった。さらに、距離を置いていた両親からは、「自分たちに孫を会わせないとはどういうことだ!」などと罵倒される電話が頻繁にかかって来るため、電話やインターホンが鳴るだけで震えや冷や汗が止まらなくなっていた。