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「私は幼少期から、勉強や習い事を頑張っても母から暴言や暴力をふるわれる日常が続いていたので、『頑張っても頑張っても認めてもらえない』と思い込まされていました。そこへ父から容姿を蔑まれたことで、『極限まで痩せないと自分を認めてもらえない』という歪んだ発想になってしまったのだと思います」

 特に苛まれたのが、月経が来ることだった。拒食が続くと月経が止まるが、空腹を我慢できずに食べてしまうと、「誘惑に負けて食べてしまった自分はダメ人間だ……」と自分を責め、数日後には月経が始まる。その瞬間、自分の身体への嫌悪感がピークに達した。

「この頃は、ボールペンを見れば『自分の指より細い』。傘を見れば『柄の部分が自分の手より細い』など、ことあるごとに自分が極限まで痩せていないことに辟易としていました……」

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20歳で初めて精神科へ

 高校に入った年の冬頃からは、原因不明の左半身の痛みにも悩まされ始めた。

 いじめ自体は2年生になってクラス替えをしてからは無くなったが、摂食障害や左半身の痛みは続き、もう学校には戻れなかった。もともと勉強が嫌いではなかった丘咲さんは、家で勉強して課題やテストを受け、高校を卒業する。

 その頃には精神も身体も限界を迎えていた。

 左半身の痛みのために入退院を繰り返していたが、検査をしてもどこにも悪いところはなく、整形外科医は首をかしげるばかり。それでも鎮痛剤をもらいに通っていた。

「鎮痛剤が効くこともあれば効かないこともあって、我慢できないほどの激痛に襲われて自力で病院へ行けないほどの時は、何度も救急車のお世話になっていました」

 しかし何度目かの救急搬送の際、救急車はいつも通りかかりつけの整形外科に到着したが、そこでは降ろされず、数分後に再び移動して別の病院で降ろされた。精神病院だった。

「おそらく、『あの患者、よく来るけどどこにも原因が見つからない。精神的なところから来る痛みなのではないか?』というかかりつけの整形外科医の判断で、紹介状を書いたうえで精神病院に向かわせたのだと思っています」

 20歳で初めて精神科にかかった丘咲さんは、うつ病、社会性不安障害、対人恐怖症、解離性同一性障害、パニック障害、境界性人格障害など、いくつもの診断がおりた。

©takasu/イメージマート

ドアの隙間から差し込まれた姉の手紙

 丘咲さんは、何度も精神科への入退院を繰り返した。長いときは半年に及んだが、回復している感覚は全くなかった。

「家には居場所が無いので、『退院したくない、家に帰りたくない、病院にずっと居続けたい』と思っていました。だから、退院の日が近付いて来ると憂鬱でした」

 暴言や暴力をふるう両親から離れるために、「何とかして早く家を出なければ」と思っていた丘咲さんは、貯金をするため、体調がマシな日は医療事務のアルバイトをするようになった。

 ある日、アルバイトを終えた丘咲さんが帰宅し、自分の部屋に入ろうとすると、ドアの隙間から差し込まれた手紙に気付く。開いてみると、差出人は姉だった。