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「簡単に言ってしまえば、『お前のせいで私の人生がめちゃくちゃにされた。隣の部屋にお前がいると思うだけで気持ち悪くてたまらない』というような、私への恨みつらみが何枚にも渡って書かれていました。父はともかく、母は私の他に誰もいないときに限って暴言や暴力をふるってきましたから、姉は私が母に可愛がられていると思っていたのだと思います」

 母親の期待通りに高校まで育った妹と、期待に応えられなかった姉。姉は母親に完全に見放されたわけではなく、必要最低限のことはしてもらえていたが、「自分は眼中にない」と感じていたのだろう。期待に応え続ける妹の苦労やストレス、そして暴言や暴力を受け続けていたことを知らない姉は、妹を妬み、恨んだ。それが極限に達したのがこのときだったのかもしれない。

 丘咲さんは、相変わらず左半身の痛みに悩まされ、酷い時はアルバイトどころかトイレに行くのもやっとな日も少なくなかったが、姉の手紙に後押しされる形で家を出た。

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「家庭という居場所が欲しかった」23歳で結婚

 家を出た丘咲さんだが、生きるのが楽になったかと思いきや、全くそんなことはなかった。

 母親に似たショートヘアの女性を見たときや、父親のような男性の大きな声を聞いたときに、それを引き金に過去の虐待がフラッシュバックするのだ。アルバイトをしていても、少し注意されただけで自分が虐待されている場面がフラッシュバックしたり、「自分は無能で価値がない」と絶望したり、「周りから嫌われている」と被害妄想をするなど、過度な緊張や動悸が起こる。精神科医に相談しても、医師から責められているように感じ、自分は厄介者だと思い込み、気分が塞ぐ。

 極めつけとなったのは左半身の痛みの悪化だった。一日中起き上がれない日が何日も続き、1年経たずに実家に戻ってくることになってしまう。

「家を出る時はすんなり出られましたが、戻る時は両親に土下座をして戻らせてもらいました。母に『みっともないから部屋から出てくるな』と言われ、ほぼ自室で寝たきり状態でした」

 そんな中、一筋の光明が差し込んだ。アルバイト先で知り合い、交際をしていた2歳年上の男性に結婚を申し込まれたのだ。

 23歳になっていた丘咲さんは結婚を決めた。相手の男性には、摂食障害のことも、精神疾患があることも、両親から虐待を受けていたということも話していなかった。

「ただ、いつも左半身が痛いということと、両親とあまり仲が良くないということは話していたと思います。もちろん相手のことは好きで結婚しましたが、間違いなく私の中では、実家から解放されたいことと、『家庭という居場所が欲しかった』という気持ちがあったと思います」

 新婚生活が始まると、翌年には妊娠が判明。家庭という居場所を得て、幸せな生活を送れるかと思いきや、またしても全くそうではなかった。

 かつて父親から浴びせられていたような暴言を夫から浴びせられているという、“被害妄想”に苛まれるようになっていたのだ。