睡眠時間は3、4時間。2週間以上休みなしで現場が続くことも
とりあえず大手の映画会社に就職するのはよそうと思った。貧乏や苦労はさておき、もっと自由で独創的な映画を作っている場所に行きたいと思ったからだ。その後私はフリーランスの助監督になって、客の入りそうにない、はちゃめちゃな、だけど楽しい現場で、予想通りの貧乏と苦労と過剰労働に首まで浸かった。撮影中は新宿や渋谷に朝6時に集合して帰宅は24時過ぎが当たり前。睡眠時間は三、四時間。二週間以上休みなしで現場が続くことも少なくなかった。洗濯、掃除、ゴミ出しはおざなりになり、部屋の中はものが散乱した。初任給は八万円。カチンコの叩き方すら知らないんだから授業料だと思って学生時代よりアパートの家賃を落とした。この仕事をする限り、将来子供を産み育てたり家を買ったりという人並みの営みはないのだろうなと覚悟した。でもまあ、「そういうもの」だろう。だってみんなまともな就職をしたのに、自分だけが子供の頃から好きだったものにこだわっちゃったんだから。
監督になってからはまた別の不安定さがつきまとった。一本の映画に、脚本作りから興行や海外行脚まで四、五年つきあうのは珍しくない。監督料など時給換算すれば数十円程度だし、「ぜひ劇場にお越しください!」とテレビカメラに向かってにこやかにPRしても、興行収入の中から私や俳優には一円も分配はない。脚本を書く間は貯金を切り崩し、取材費も殆ど持ち出しだ。撮影ではできるだけゆったりしたスケジュールを工夫するが、休みを入れれば撮影期間は延び、経費は膨らむ。予算内で健康的なスケジュールを組もうとすれば、内容を削り、妥協し、あれもやめ、これも諦め、しかないのだ。こうして日本映画は瘦せ細り、韓国映画、欧米の映画に比べて、誰の目にも見劣りを隠しきれなくなった。
はっきりと言えることは、私は「好きなことをやっている」。映画作りは、出会いと結束と緊張と創造性に満ちた素晴らしい仕事だ。けれど一方で労働の過酷さや中身の乏しさについては「そういうものだ」とうなだれるばかりで、反発の仕方すら考えてこなかった。他の国の映画人は、ハードな撮影はありつつも素晴らしいセットを建て、太陽を待ち、雲を待ち、家族と時間を過ごし、子供たちからも尊敬される職業の一つとされているのに。