ときには上から目線でストレスのはけ口をドライバーに向けるお客も……。タクシードライバー歴15年の男性が語る「職業ヒエラルキーのリアル」とは?
1日300km走行、タクシードライバーの悪戦苦闘の日々を描いた内田正治氏の著書『タクシードライバーぐるぐる日記――朝7時から都内を周回中、営収5万円まで帰庫できません』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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なぜ私はタクシードライバーになったのか
「おい、どこ行くんだ!」
後部座席のお客が大声で怒鳴る。
浅草橋付近で乗せたお客は「八重洲」とだけ言って自分の携帯電話で話し出した。新人の私は行き方がわからない。お客に聞こうと思っても電話の話が止まらない。おおよその方向に走って、昭和通り、中央通りもすぎて新常盤橋交差点も直進したときだった。
私は思わず急ブレーキを踏んでいた。
今となれば、どちらかの道を左折しなければならないとわかる。
「すみません。お話し中だったものですから」
私は素直に詫びた。
「しょうがねえなあ。八重洲と言っただろ?」
「すみません。まだこのあたりに詳しくないものですから」
「チッ」
30歳前後と思われるお客はあからさまに舌打ちをした。
「すみません。どちらの道で行けばいいか、教えていただけませんか」
当時の私は「すみません」が常套句になっていた。
この仕事の経済的な厳しさは承知していた。しかし、その社会的立場がどのようなものか、仕事をするうちに理解していった。私は数多ある職業の中の一つだと思っていたが、現実は違っていた。
職業に貴賎なしというが、これはあくまで理想論だろう。きれいごとを抜きにいえば、私はこの仕事で社会のヒエラルキーを実感した。
お客の中には上から目線でストレスのはけ口をドライバーに向ける人もいた。
お客の理不尽な言いがかりにも反論することなく、ぐっと我慢した。嫌なお客が降りた後、車内で「バカヤロー」と何度大声で怒鳴ったことだろう。
私はある事情で50歳のとき、それまでの仕事を失った。