「わしはこれまで博打の負けは博打で返してきたさかい。野球で負けた分は野球で返さんと気がすまん」
『月亭可朝のナニワ博打八景』(吉川潮、竹書房)に出てくる、芸人・月亭可朝の言葉である。ここでいう“野球”は投げたり打ったりの野球ではなく、張るほうの野球、すなわち野球賭博である。もちろんヤクザ組織が仕切る違法賭博だ。
冒頭の言葉をうそぶく可朝に「その考えが傷を広げるんやで。悪いことは言わん。傷の浅いうちにやめえ」と忠告した人物は、まもなく姿を消した。彼もまた博打で借金まみれになっていたのだ。
わかっていても逃れられないギャンブル蟻地獄
ギャンブルに対しての理性を説く者が、自らその有り様である。博打の負けを博打で取り戻そうとする感情によって、人は蟻地獄に落ちていく。わかっていても逃れられない、破滅の心理だ。
くだんの月亭可朝の人となりを説明すれば、落語家として芸人の世界に入り、ギター漫談で唄う「嘆きのボイン」(1969年)で一世を風靡した人物である。その一方で女性問題などのスキャンダルで世を騒がせもした。また根っからの博打好きで、だから上記の評伝の副題は「金持たしたらあかん奴」となっている。
そうであるにしても、世の中には3K1オート(競馬・競輪・競艇・オート)もあれば、パチンコもある。なのになぜ彼は野球賭博にハマってしまったのか。本書でいえば、可朝を野球賭博に誘い、試しに5万円を賭けさせた人物の次のセリフにその答えは集約されている。
「清算は月曜日で、一割のテラ銭取られて、四万五千円の戻しになります」――テラ銭とは胴元の手数料のことで、中央競馬であれば主催のJRAが25%を抜く。それに比べヤクザ組織は10%、良心的である。おまけに掛け金の精算は週に一度の月曜日、というわけだ。
すなわち、手持ちのカネがなくても賭けられる。これが野球賭博の最大の魅力であり、同時に借金で火ダルマになることへの導火線でもある。
賭博者はカネを増やしたいのではない
さらに本書には、負ければ負けるほど賭け金が大きくなっていく賭博者の心理が記述されている。プロ野球は、火曜日からの3連戦と金曜日からのそれで編成されるが、週前半の3連戦で負けがこむと週後半で挽回しようとし、金曜も土曜も負けると日曜にさらに大きく賭けてそれまでの損を取り戻そうとするのだ。