そうやって野球賭博にハマった可朝に、夏が来る。
〈八月は忙しかった。昼間は高校野球に賭け、負けると夜のプロ野球で取り戻そうとしてまた賭ける〉
これを読めば、馬鹿だと思おう。しかし人を愚かにするのが博打であり、博打で愚かになるのが人間の本性に違いない。
こうした破滅に向かう心情をより精緻に書いたものがある。古市満朝『ヤクザより悪い男たち』(宝島社)だ。相撲界で起きた野球賭博事件に関連して逮捕された人物が、服役後に著したものである。
ここで古市は、賭博者はカネを増やしたいのではなく、勝ちに酔い、興奮したいのであり、それは理屈では説明できない「病気」のようなものだと記している。おまけにギャンブラーは勝つことしか考えていないうえに、野球賭博は元手を用意しなくても口先ひとつで勝負できる。だから〈勝ちならこれほどおいしい話はない。もし負けたとしても、次の試合で消しにいけばいい。100万負けた人間が、最後の最後で負けをチャラにできれば、これはもうほとんど勝ったと同じくらいの高揚感を得ることができる。そのバーチャルな世界が、多くの野球賭博中毒者を生む温床になっているのだ〉。
「オッズを見ていれば、ヤマガタが来とるかどうか分かる」
元手なしで賭けられるギャンブルのバーチャル感……、これを読むとき、野球に賭けたわけではないが、大谷翔平選手の元通訳氏のことを想起する人もいよう。
彼は「バンプ」(胴元が信用で賭けられる上限額を上げる)を繰り返していったという(朝日新聞デジタル4月12日配信「『支払い心配ない』誇った水原氏 信用額上げ続け、損失61億円」)。そうやって賭け金を引き上げていき、結果、日本円で約217億6500万円勝ち、約279億8900万円負けた。たくさん勝つがそれ以上に負ける……なんだか往時のロッテ・小宮山投手の成績(10勝16敗など)を彷彿とさせるところだが、閑話休題、これもバーチャル感のなかで賭け金がインフレしていった結果であろうか。
現実感を失っていきながら賭博の快楽におぼれ、借金の追い込みにあっては我に返って、苦しみに悶える。賭博に溺れる者についての書籍は、当人には地獄だが、人間の不可解さをあぶり出しもする。
一方で、世の中には賭け事でいくらカネを失っても太平楽でいられる者もいる。次はそんな男の話だ。
「オッズを見ていれば、ヤマガタが来とるかどうか分かる。あいつが舟券を買うと、急にオッズが下がるんや」
各地のボートレース場に現れては競艇ファンをざわつかせる男がいた。民話で語られる妖怪のような話であるが、実話である。