ーーたしかに、玉置さんがガンガンと牽引しているイメージが強いですよね。
末崎 そういった場面は、メチャメチャありますよ。でも、それをバンドとして咀嚼するのが面白い。小学生、中学生の頃から一緒だった話をしたけど、学校卒業した後にミュージカル・ファーマーズ・プロダクションと名付けたスタジオを建てて、そこで寝食を共にして1日何十時間近くも練習することがあった仲ですからね。
借金して、農家を改装して、そこで音楽をやりたいがために、みんなでバイトをしながら借金の返済も頑張っていたんですよ。そういう意味でも絆が強いし、音楽をやりたいって気持ちが凄まじいわけですよね。
ーーケンカなどするのですか。
末崎 しますよ。手を付けられないようなケンカはしないけど、その寸前くらいまではあるかな。でも、ケンカしたって、その後にリハーサルをやってもパーンと音が合うんですよね。これは、何年ぶりかに会ってリハーサルをやっても一緒ですね。ほんと、バンドと言うよりも音楽家族と言ったほうがいい関係性ですよ。
全員が「本当に音楽しかない」人たち
ーー玉置さんは、1986年に映画『プルシアンブルーの肖像』で俳優活動、1987年にアルバム『All I Do』を発表してソロ活動を始めますが、他のメンバーの反応はどうだったのでしょう。
末崎 自由人というか、天才というか、とにかくそういう人だっていう空気感がバンド内にも周囲にもありましたからね。だから、何か言うこともなく。ソロに関しては、他のメンバーも始めましたしね。
俳優に関して言うと、久世(光彦)さんが演出したドラマに出たじゃないですか。『キツイ奴ら』(TBS・1989年)かな。久世さんと一緒にやったことで、俳優としてもずいぶん変わっていったんじゃないですかね。大河ドラマの『秀吉』(NHK・1996年)で演じた足利義昭なんて、ちょっと狂気を帯びていた役だったけど、素晴らしかったですしね。演技というよりも憑依してしまう感じですよ。
ーー自由人という言葉が出ましたが、「ぶっ飛んでいるな」と感じる場面を目にしたことは。
末崎 日本って脳が開ききった、自由に開放された自国が生んだ天才アーティストに対する理解度が低いと思うのですね。欧米だとピカソやゴッホ、モーツァルトやベートーヴェンなどのぶっ飛んだイメージのある人達にも芸術家(アーティスト)としての親愛や理解や尊敬はありますよね。
場面というか、本当に音楽しかない人なんだなって。玉置さんだけでなく、安全地帯の全員がそうなんですよ。それを強く思わされたのが、2009年の秋に行ったレコーディング合宿ですね。もう、朝から深夜まで音楽漬けで「この人たち、ほんとにすごいな」って。