『ワインレッドの心』『悲しみにさよなら』『碧い瞳のエリス』などのヒット曲で知られるロック・バンド、安全地帯。

 プロデューサーとして安全地帯を支えた末崎正展氏(61)に、バンドとの作曲秘話、合宿でのエピソード、復活までの経緯などについて、話を聞いた。(全2回の2本目/最初から読む)

©️時事通信社

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はじめは「歌える」とは言い難い状態だった

ーー合宿では、まずなにを。

末崎 早い話が、音楽のリハビリですね。僕が最初にメンバーにやってもらったのが、昔の音源を使った練習です。80年代前半のマルチトラックテープを引っ張り出してきて、リピートで流しながら練習してもらいました。それによってバンドとしての勘を取り戻してもらう狙いがあったけど、自信も取り戻してほしいというのもありましたね。

 途中から、玉置さんがグングン乗ってきて。ドラムの田中さんは千葉でカフェのマスターをやっていたので、ちょっとブランクがあったんです。玉置さんが「田中ちゃん、そこはこうよ。こうやって叩くのよ」なんて言って、叩いてみたり。

ーー玉置さんは、最初は調子が出ていませんでしたか。

末崎 声が出なかったですね。「歌える」とは言い難い状態で。でも、完全に取り戻してましたけどね。ただ、玉置さんは少し飽きっぽいところもあるのと、身体のリハビリも兼ねた事を考えられたのでしょう、1ヶ月もすると「末ちゃん、サウナ行くぞ」って言い出すようになって(笑)。玉置さんは、風呂好き、きれい好きで、1日に何度も風呂に入って着替えることで有名なんですよ。風呂に入って、サッパリして、服も着替えて、というのが大好き。

 伊豆だから、温泉が出る浴場がいっぱいあるでしょう。朝食を取った後と夕食を取った後に、サウナ付きの入浴施設に行くのが習慣になっていたので、ずっと付き合ってましたね。僕は水風呂が苦手なんだけど、玉置さんが「末ちゃん、こうやって入んのよ」なんて入り方を伝授してくれたのを覚えてます。