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「歌えるとは言い難い状態だった」それでもアルバム大ヒット、全国・アジアツアーで完全復活…「安全地帯」が歩んだ凄すぎる半生〈メンバーの死も〉

「歌えるとは言い難い状態だった」それでもアルバム大ヒット、全国・アジアツアーで完全復活…「安全地帯」が歩んだ凄すぎる半生〈メンバーの死も〉

プロデューサーとして安全地帯を支えてきた末崎正展氏 #2

2024/05/19
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合宿では相当な成果が出て…

ーー合宿では作曲も?

末崎 僕が合宿に参加する前ですかね。玉置さんと矢萩さんが、2人で先にプチ合宿してたんです。玉置さんからなにやら大喜びで電話が掛かってきて、「末ちゃん、すげえいい曲できたよ」と言って「ラララ~」ってメロディを口ずさんで。

 玉置さん、デモでもギター1本だけで「ラララ~」なんですけど、ものすごく完成度が高いんですよ。僕が合宿に参加してからも、夜に起こされて「末ちゃん、すげえいい曲できたよ。ラララ~♪」って聞かされましたね(笑)。

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 電話で聞かされた曲は『スペイン』って仮タイトルで、復活第一弾シングル『蒼いバラ』として武沢さん宅で一緒に歌詞を練り上げで、同じく伊豆合宿で生まれた『オレンジ』というシングル曲の歌詞は、スタジオ近くのサウナから見える相模湾の朝日や夕日をみながら、一緒に練り上げました。

ーー合宿によって、相当な成果が出たわけですね。

末崎 『安全地帯XI ☆Starts☆「またね…。」』(オリコンチャート最高位3位を記録。トップ3入りは『安全地帯VII~夢の都』(1990年)以来約20年ぶり)と『安全地帯 Hits』、2枚のアルバムを作って2010年の5月と6月にリリースしました。『またね…。』は完全なオリジナル・アルバムで、『Hits』は「大ヒットした曲を現在の声と演奏で」というコンセプトのセルフカバー・アルバムになります。セルフカバーに関しては、さっき話した過去のマルチトラックに合わせて練習してもらうのと一緒で、バンドの一体感を取り戻してほしかったところもあるんですよね。

 で、アルバムのアジア・プロモーションも組んだんですよ。7月から10月の全国ツアーが終わったら、韓国、香港、シンガポールも公演を実施しました。

 僕はその後2011年末に会社を辞めてからも、田中さんがやってる千葉のカフェに何度か行って、矢萩さん武沢さんと2人で組んでもらったギターユニット"ワタユタケ"や玉置さんのソロ活動などメンバーの状況なんかを報告してたんですよ。

「末ちゃん、またコンサートやれるかね」「絶対にやりましょうよ」なんて、話し合ってましたよ。そういうこともあって、2017年に日本武道館の楽屋でバンドのみんなと会ったときは嬉しかったし、感慨深かったですね。

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