ーーメンバーであった田中さんは、2022年12月にお亡くなりに。
末崎 間接的でしたけど、連絡をいただきました。病気になった時も連絡をいただきましたけど、コロナで面会謝絶でした。ご家族とメンバー以外は会えない状況だったんじゃないですかね。ショックでしたけど、メンバーは言葉では言い表せないほどの悲しみだったと思います。特に矢萩さんなんて、6歳の頃からずっと一緒ですから。
「玉置さんたちが僕を必要とするならば、厭わずに駆けつけるつもりです」
ーー40年近くにわたって、安全地帯の姿を目にしてきたわけですが、最近はどのようなフェーズに移ったと感じていますか?
末崎 安全地帯は田中さんのこともあって何度目かの沈黙が続いていますけど、玉置さんに関して言えば、ストイックに歌を追求するアーティストになられたんじゃないですかね。完成形といいますか、真の意味での歌手と言いますか。
いまの玉置さん、コンサートでは一言も喋りませんから。歌しか歌わないです。ほんと、純粋に歌だけなんです。「俺は歌に生きる」といったことなんでしょうね。2022年の紅白には出てましたけど、テレビにはご自身の主宰番組以外はほとんど出ないですしね。
ストイックですけど、僕がコンサートを見に行って、玉置さんが僕を見つけると手を振ってくれたり。
ーー安全地帯がまた動くとなったら?
末崎 玉置さんはもちろん、バンドのメンバーは音楽が人生のすべて。人柄はもちろん、そこに惹かれていますから。いつの日かの復活を信じてやまないですけど、そのときが来て玉置さんたちが僕を必要とするならば、厭わずに駆けつけるつもりです。安全地帯のみなさんとは、半生にわたる絆を感じていますからね。