桜の名所である石川県の能登にソメイヨシノが満開となった4月15日、能登空港(のと里山空港)に隣接した日本航空石川高校のグラウンドに、硬式野球部の選手たちが集まっていた。
元日に起きた能登半島地震の後、彼らは山梨県甲斐市の系列校・日本航空高校の校舎で避難生活を送っていた。そんな状況でこの春のセンバツ出場校に選ばれ、大きな支援と声援を受けて彼らは聖地に立った。
だが、1回戦の常総学院(茨城)に敗れた3月25日以降、彼らが再び、離れ離れの生活を強いられていたことはあまり知られていない。選抜での敗退からおよそ3週間ぶりに主要メンバーが集まり、慣れ親しんだ能登のグラウンドでの練習となると昨年12月23日以来となるこの日、取材に訪れたのは通信社の記者と私のふたりしかいなかった。
野球部だけが春季大会出場のためにひと足先に能登に戻って来た
中村隆監督(39)は言う。
「4月から日本航空石川の生徒は東京の明星大学青梅キャンパスの使われなくなった校舎で暮らしながら、授業を受けることになりました。しかし体制が完全には整っておらず、入学式も5月6日に延期になっている状態です。野球部としても、東京で生活しながらまもなく始まる春季石川大会に出場するとなると、移動も含めて大きな困難が伴います。ですから全部員67人のうち42人(マネージャー1人を含む)が能登に戻ってオンラインで授業を受けながら春季大会に出場することになったのです」
もちろん、能登空港のすぐ隣にある日本航空石川のキャンパスもまだ復旧・復興の過程にある。体育館や一部の校舎では、復興作業に当たる総務省の職員も暮らしている。被災地への限られた入り口となる空港に隣接するため電気やガスの復旧は早かったが、校舎によってはまだ断水が続いており、キャンパスには仮設トイレも並ぶ。
幸い風呂も湯船に浸かることは可能だが、一部の浴槽の床にはヒビが入っていて、仮設の浴槽で代用している箇所もある。全国から集まっていた一般の生徒が震災以前の暮らしを取り戻すにはまだ時間がかかる中、野球部だけが春季大会出場のためにひと足先に戻って来た形だ。
震災の爪跡は野球部の施設にも残る。震災があった1月1日は帰省で能登を離れていた中村監督が、初めてグラウンドに足を踏み入れた日、ゾッとする光景を目撃した。ライト側の外周部分に埋まっていた浄化槽が破損した状態で顔を出し、レフトの芝生部分には大きな水たまりができていた。