また、能登空港から車で20分ほどの向洋キャンパスは、復興支援で訪れたボランティアの宿泊所に提供していて、能登空港キャンパスで短期滞在者に提供しているテントも、今後はボランティアにも提供していくという。石川県がボランティアの宿泊施設として公に認めているのは、日本航空学園が所有する両キャンパスだけだ。
キャンパス内に倒壊したような建物はなく、外観だけを見れば、一般の生徒が戻ってきても大きな問題はないような印象を抱いた。中村事務長が続ける。
「いえ、天井の蛍光灯が外れてぶら下がったままの教室もあったりしますし、次にまた大きな地震が起きた時にどうなるかもわからない。安全とは言い難く、震災以前の学園生活を取り戻すにはまだ時間がかかります」
「野球をやっている場合なのか」と自問自答したことも
キャンパス内にある野球場やサッカー場は、日本航空石川の生徒が不在の間、被害の大きな能登の学校の部活動に提供してきた。取材の日も、13時半頃から野球部が練習を開始すると、途中から石川県立穴水高校の野球部員も参加し、合同練習を行っていた。
まだ日常生活が戻らない能登に戻ってでも、春季石川大会に臨む環境作りを優先した日本航空石川は、4月27日に小松市立高校との初戦(2回戦)を迎える。センバツ後、練習試合はわずか1試合しかできず、ぶっつけ本番となる。夏のシード権が懸かったこの大会が終われば、ナインは東京青梅に生活拠点を移し、夏の石川大会が始まる頃に再び、能登のキャンパスから金沢での試合に臨むことになる。中村隆監督(39)が話す。
「“引っ越し”がやはり大変です。移動の度にバッティングマシンも移動させますし、打撃ゲージは分解して運んでいます。だからといって、野球に集中させてもらっている分だけ幸せです。
春は甲子園に出ることができた。結果は残念ながら1回戦負けでしたが、今はもう一度、大きな山を登る準備をしている段階です。最後の夏に向けて3年生は焦りもするでしょうが、むしろこういう一度下山する時間があった方が強いチームが作れるような気がします。もう一度、彼らと甲子園に行きたいです」
野球をやっている場合なのか――。震災の直後から、彼らはそう自問自答してきた。だが、甲子園を経験した現在、故郷を離れて“ヤドカリ生活”が続く彼らにとって野球だけが生きがいなのだ。