一方、橋本氏にも与えられた仕事がある。事故の悲惨な現場を写真で伝えることだ。
「私の方針は、遺体そのものを直接写さないことでした。布にくるまれた遺体までが限界。どこを見ても遺体や肉体の一部が散乱していた状況でしたが、持っていったフィルムの本数も少なかったので、1枚1枚を慎重に撮りました。日が暮れてきたところで、自然に周りも動きが止まりました」
現場で待機する者を残して、自衛隊員や警察官らは山を降り始めていた。
「日中に、陸上自衛隊の精鋭である習志野空挺団がヘリから降下してきて、周辺の木を切って土嚢を積んで、あっという間にヘリポートを作っていた。自衛隊や警察が優先なんですが、空いているときに新聞社のヘリも使っていました。大手新聞の記者はヘリで帰っていったので、羨ましかったですね」
橋本氏に迎えは来ない。歩いて山を降りるか、飛行機の残骸と遺体の山の中で一夜を明かすかどうかを決める必要があった。
「たとえ戻れても、山を越えてまた来るのに半日かかるので、現場で夜を明かすことにした。と言っても周囲の木はなぎ倒されて、土がむき出しになった斜面に腰を下ろすような状態。残ったのは10人くらいで、翼の近くに自然に集まって沈む夕日を無言で呆然と眺めていました」
12日の事故発生から徹夜で現地へ駆け付けた橋本氏は、その間食パンしか食べていなかった。急に空腹感を感じてリュックから弁当を取り出すと、夏場だったため、ご飯が糸を引いていた。近くにいた顔見知りのカメラマンに「2つあるので、お1つどうですか」と弁当を差し出すと、「食欲があるんですね……」と苦笑されたという。
「戦争で亡くなった方の遺体は『人間の形』をしているんです。でも…」
「何気なく地面に腰を下ろしたら、脚の間に人間のくるぶしから先の部分が落ちていました。くるぶしより上は白い骨で、膝のところで切れていて……。こんな場所にいたら、食欲が出ないのが普通なんでしょうね。私が生まれて初めて海外に行ったのがカンボジアの内戦取材で、それ以来戦地の取材も多かったんで遺体を見慣れていて、麻痺していたのかもしれません」
なんとか冷静さを保っていた橋本氏だが、戦地と比べても御巣鷹山の現場は全く異質な空間だったという。
「戦争で亡くなった方の遺体の多くは『人間の形』をしているんです。そうすると、こちらも『かわいそう』という気持ちが湧いてくる。でも御巣鷹山は、唐突に手や足だけが落ちていて、どこともわからないような肉片もそこらじゅうにあります。あれほど凄惨な場所は見たことがありません」