『マンモスの抜け殻』(相場英雄)文春文庫

 二〇〇八年~二〇一五年、筆者は小さな介護施設を3店舗経営していた。二〇〇〇年代後半に連載していた月刊誌が次々と廃刊となるだけでなく、出版社そのものが倒産や廃業、M&Aが繰り返され、数年後の未来がとても想像ができないと文筆業を廃業した。なんとか安定した仕事に就いて家庭を支えなければならない――父親、世帯主としての焦りが筆者を間違った道に進ませてしまった。

 ライターを廃業した筆者が介護事業を選んだのは、二〇〇〇年四月に「高齢者を家庭ではなく、社会で支える」という号令の下で介護保険制度が始まり、圧倒的な需要が見込まれていた産業だったからだ。介護や福祉のことをなにも知らない素人でも、自分自身が相当な覚悟をして時間と手足を使えば、なんとかサービス提供ができるのではないかという目論見があった。実際に初月からある程度の売上は確保し、なんとか事業はまわった。しかし、筆者が経験した介護の世界は、当初はまったく想像していなかった「絶望しかない地獄」だったのだ。

壮絶なブラック労働が業界では日常だった。

 当時を思い出すだけで、今でも吐き気を催すほどのダメージを受けた。一言で説明すると、介護保険制度以降の介護は「いらない底辺の人間を一か所に集めて隔離する」国策だった。蓋を開ければ、高齢者を支える人々はまともではなく、用無しとなった失業者、異常者、貧乏人、成功体験がなにもない無能者、人生で一切女性に相手にされなかった中年童貞みたいな人々の最後のセーフティネットになっていた。要介護高齢者の下の世話、認知症高齢者に手間がかかることは十分に承知していたが、介護職を筆頭とする介護関係者の貧困、妬み、嫉妬、イジメ、マウント、非常識の蔓延が今でも吐き気を催してしまう理由だ。

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 国は一九八〇年代後半にゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十か年戦略)を掲げ、旧ヘルパー2級(介護初任者研修)、介護福祉士、居宅介護支援員(ケアマネ)など、各種資格を取り揃えて専門学校や大学を資格養成所に変更させた。健全な資格階級社会を目指して、万全の準備をして介護保険制度を発進させた。しかし、要介護高齢者の急激な増加に人手や体制は追いつかず、誰も彼も入職させたことによって、「いらない人間を一か所に集めて隔離する」産業に成り果ててしまったのだ。