私は小さな書店を営んでいるのだが、開店当初からいわゆる「ヘイト本」と呼ばれる本は並べたことがない。取次ぎを通さず、ほとんどの本を買取っており、返本もしないので、限りあるスペースにどの本を選び、並べるかと考えると自ずとそうなる。本著を読んでいる間考えていたのは、私がもし大型書店で働いていたならばどうするだろうか、ということだ。
著者は「ヘイト本」には批判的な立場だが、「それでも、書店の人間として『ヘイト本』を書棚から外(はず)すという選択はしません」と語り、「書店=言論のアリーナ(闘技場)」論を掲げた。店長を務めていたジュンク堂難波店では、「店長本気の一押し!『NOヘイト!』」というブックフェアを2014年12月末より開催。差別意識に満ちた出版物を批判しながらも、書棚からは排除しないという姿勢を貫いた。それからおよそ10年にわたって思索を深めていった記録が本著だ。「ヘイト本」を置く理由にはじまり、書店や書物の存在意義にまで思索は広がっていく。引用された本は、人文書を中心に60冊以上。書物の森へと分け入っていき、それぞれの本を水先案内人として思考を巡らせる。著者が本を読んで思索を重ねたように、読者もまた本著を読むことで、「差別」について考え続けるだろう。
「『ヘイト本』を書く、読んで共感する心性、すなわち差別感情は、隠すことではなくならないし、おそらく弱体化もしない。むしろ、目の前から見えなくなったことで、対峙・攻撃することが難しくなるだろう」と著者は語り、「ヘイト本」の放逐(ほうちく)は、「ヘイト本」の殲滅(せんめつ)にならず、存在を隠すだけだとも語る。著者の論に私も自問せざるを得ないが、著者もまた「書店での、そして本を媒介しての活動や発信は、防御壁に囲まれた『安全地帯』からのものにすぎなかったのではないか?」と自問する。だが、言葉の力を信じ、本を運ぶ仕事の意義をも信じることはやめない。
読み終わって、さて私が大型書店にいたとしたら? という問いに戻ったとき、それでも「ヘイト本」は並べないだろうし、私の営む店ではこれからも「ヘイト本」を並べることはないと確信した。立地や規模や書店主の想いで書店の役割には違いが生じる。大型書店が世界を網羅する海だとすれば、私が営む書店は、公園の池くらいかもしれない。喧騒を逃れ、深く息をし、自分の言葉を見つけることができる場所。アリーナというより「避難所」に近いのではないか。だからこそ、そこに逃げ込んだ人を背表紙で傷つけることは避けたい。やり方は違うが、同じ方向を目指している書店員として、著者と同じく私も矜持をもって売り場に立っている。書店をとりまく状況は厳しくなる一方だが、書店員たちは、誰かに届いてほしいと願いながら日々本を並べている。
ふくしまあきら/書店員。1959年、兵庫県に生まれる。京都大学文学部哲学科を卒業後、82年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長などを経て難波店に。2022年2月まで難波店店長をつとめる。『書店と民主主義』ほか著書多数。
たじりひさこ/1969年、熊本市生まれ。橙書店・オレンジ店主。文芸誌「アルテリ」責任編集者。著書に『橙書店にて』など多数。