『観光地ぶらり』(橋本倫史 著)太田出版

 観光地とテーマパークの違いは「誰かが暮らしている気配」の有無だと、『観光地ぶらり』にはある。微かな気配に耳を澄ますことができるのは「ぶらり」と散策できる余地がわずかでもあってこそのこと。

「観光とは、ひかりをみると書く」

 土地そのものが発光するだけではなく、住人がいてこそ「ひかり」は放たれる。

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 目次には、横手、五島列島、竹富島など、日本全国津々浦々10箇所の地名が並んでいる。橋本倫史さんは、ひとりでそこに泊まり、巡り、観光客を迎える側の人たちに話を聞き、書き留める。併せて、日本に、「観光」という概念が持ち込まれた明治時代から、「リゾート法」が可決された1987年、「癒し」と「絶景」がひたすら求められる今に至るまでの変遷を、資料を駆使して辿っていく。

 羅臼にて、喫茶店の隣客は橋本さんにこう言った。

「ここに暮らしていると、いろんな人が入ってくるから面白いですよ」

 観光地と呼ばれる場所に暮らす根源的なよろこびはきっとそこにある。

「俺たちはね、いろんな人とお話しするのが楽しみだもんね」と続く言葉に、橋本さんは、あちらこちらで取材をしてまわる自らの生業を重ねてみている。

 そこかしこで、橋本さんは、自身の子供時代の、観光と家族にまつわる思い出を掘り起こしてもいる。橋本さんは1982年生まれだから、記憶は平成のはじまりの風景の中にある。いきおい、故郷である広島の原爆ドームを扱う章が、個人史としても読めるこの本の精神的な軸となっているだろうか。

 同じ広島県内でも橋本さん自身の故郷からは少し離れた尾道からはじまる「しまなみ海道」の章からわかる、観光客の視点と乗り物との関係も興味深い。しまなみ海道は10年ほど前から「サイクリストの聖地」として定評を得ているのだという。尾道からおよそ200mのところに浮かぶ向島の港の傍の商店街にあって、こしあんパンやツイストドーナツをこしらえ続けている「住田製パン所」三代目の住田宣子さんは言う。

「今は古い店だというのが売りになったでしょう。まさかそんな時代がくるとは夢にも思わんかったけど、長くやりよったらそんな時代がやってくるんよ」

 モータリゼーションの世紀が終わって、あらためて、自転車を漕ぐスピードで眺める景色に価値が見出されたのだった。小体で古めかしいお店にひょいと立ち寄ることのできる身軽さを得て、よさが再発見され、存在意義が生じる。

 橋本さんの一人称は基本的には「僕」なのだけれど、この本では、ところどころ「わたし」とされている箇所があると気付いた。「僕」は現実にいる橋本さんその人であり、「わたし」は普遍的な人間の芯のような存在が語っているみたいに思える。そのふたつの声に耳を澄ますようにして、読む。

はしもとともふみ/1982年、広島県生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)、『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』、『東京の古本屋』、『そして市場は続く 那覇の小さな街をたずねて』(以上、本の雑誌社)、『水納島再訪』(講談社)がある。
 

きむらゆうこ/1975年、栃木県生まれ。文筆家。近著に『BOOKSのんべえ』(文藝春秋)、『私的コーヒーAtoZ』(はるあきクラブ)。