1ページ目から読む
2/3ページ目

 もし自分がスポーツ紙や通信社から派遣された記者だったら、これが仕事だと割り切って、たとえ居心地の悪さを覚えても、毎日お目当ての日本人選手を取材したかもしれない。でも当時の僕は一介のフリーランスのライターにすぎず、毎日、特定の媒体に原稿を送るノルマもなかったので、無理に日本人選手を追いかける必要はなかった。

 もし仮にMLBのクラブハウスで継続的に取材をするならば、アメリカ人記者たちと同じように彼らと同じ土俵の上で仕事がしたいと思った。狭苦しい「日本人村」の外側で、もっと自由に仕事をしたいと思った。

 近年の大谷フィーバーも、日本のメディア各社がこぞって「チアリーダー」に徹しているがゆえに巻き起こったものだ。大谷と日本メディアの関係を見続けてきたフレッチャー記者が、いくつか具体的なエピソードを紹介している。

ADVERTISEMENT

メディア非公開となった練習をホテル駐車場から覗き見

「2018年に大谷が初めてエンゼル・スタジアムのブルペンで投げていたとき、何人かの記者がセンターになる岩によじ登って写真と動画を撮影しようとした。すると、エンゼルスはこの連中を排除した。

写真はイメージです ©アフロ

 同じシーズンの後半に、大谷が肘の故障によるリハビリをしていた際に、テンピ・ディアブロ・スタジアムで8月のアリゾナ・ダイヤモンドバックスとの連戦の前、実戦形式の練習で登板したことがあった。当初は日本人記者が招待されていたが、その後、メディア非公開となった。そこで、記者一同は球場隣のホテル駐車場から覗き見をしなければならなかった」

 こうした日本人記者たちの行動は何とも見苦しいが、一方でエンゼルスは、大谷の一挙手一投足が日本で報じられることの重要性も理解していた。フレッチャー記者は続けてこう書いている。

広報担当者はエンゼルス選手たちの話を書くよう勧めたが…

「日本のメディアとエンゼルスの関係性は、ときに緊迫することもあったが、全体的にはお互いのために協力できるところは協力し合っているように見える。

『日本全体が、彼のすべての動きを追っていることは理解しなければならない』

 元エンゼルスの通信部門副社長だったティム・ミードが2018年に語った言葉だ。『その需要に対して応える義務があり、その点は十分に承知していた――そして、ショウヘイも理解していた』

 そして、大谷を追いかけ回す日本人記者の対応を担っていた広報担当者のマクナミーは、彼らに『ほかのエンゼルス選手たちの話を書くように勧め』ていたという。

『記者たちは1人の選手のためにここまで来ているわけだけど、私は少しでもほかのチーム一同や選手たちを日本の観衆に紹介しようとしていました』

 日本人記者たちは、ほかの選手やコーチたちにも大谷のことを聞いてまわっていた。マクナミーは、エンゼルスの打撃コーチや投手コーチはもちろん、ブルペンキャッチャーさえも取材を手配したという。

 スプリングトレーニングでは、無名のマイナーリーガーが日本人記者に囲まれて、練習場で大谷の投球を打ったかと質問攻めにされている始末だった」