MLBのスター選手として、世界的な人気を誇る大谷翔平。日本では、大谷の一挙手一投足が連日報道されている。しかしアメリカでは、日本の報道姿勢に疑問を持たれているという。それはなぜか?

 ここでは、大谷翔平がアメリカでどのように受容されてきたのかを記した『大谷翔平の社会学』(扶桑社新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

一挙手一投足に注目が集まる大谷翔平選手 ©文藝春秋

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日本人記者が特定の「日本人選手」だけを取材する理由

 日本人選手と日本メディアの関係は、おそらくアメリカ人から見るとちょっと奇妙だ。エンゼルス取材歴10年以上のフレッチャー記者が、日本人選手だけを取材する日本人記者を「追っかけ」と表現しているように、日本メディアのスタンスは「ファン」に近いものがある。

 あるいは、ロバート・ホワイティングの言葉を借りると「日本のマスコミ、とくにスポーツ紙は、責任あるジャーナリズムというよりも、チアリーダーの様相を呈してくる」。

 ホワイティングは1980年代の後半、読売ジャイアンツのスター選手だったウォーレン・クロマティから「(ジャイアンツの)コーチがいかに残酷に若手をしごいているか」といった話を聞き出して記事にし、その結果「ジャイアンツの球場から締め出しを食らった」という。

 MLBでは通常、各チームに帯同する記者は「チーム」全体の取材をするものだが、ほとんどの日本人記者は特定の「日本人選手」だけを取材する。おそらく彼ら彼女らは「日本のファンが興味を持っているのは日本人選手なのだから、日本人選手を中心に取材するのは当然だ」と言うだろう。

 実際に僕自身も、ライターとしてMLBに関する記事を複数の媒体に寄稿していたころ、書いていた記事の多くは日本人選手に関するものだった。それがビジネスとして求められていたからだ。

日本のメディア各社によって「大谷フィーバー」が巻き起こる

 でも、いざMLBの取材現場に身を置くと、自分が「日本人選手を追いかける」記者として現場にいることに居心地の悪さを覚えた。何というか、その場にいるアメリカ人の記者たちや他の選手たちに失礼なことをしているような気がしたのだ。

 目の前にアメリカ人やヒスパニックのスター選手がいても、彼らをスルーして日本人選手の動きを追いかけなければならない。「どうせお前ら、日本人にしか興味ないんだろ」と思われているように感じた。そんな視線を感じながらも日本人選手を追いかける立場に身を置くことが、僕にとってはあまり気持ちのいいものではなかった。