タイトルとラストシーンを原作から変えた理由
──映画化にあたり、タイトルを『噓』ではなく『かくしごと』に変えたのも、監督の判断によるものだとお聞きしました。
関根 はい、そうです。原作では、「拓未」と名付けた少年と千紗子の関係性がていねいに書かれていきますが、映画ではそれらすべてを説明することはできません。
それに、『嘘』というタイトルだと、どうしても観客は、どこに「ウソ」があるのかを探そうとしてしまうと思ったんです。
本作に出てくるウソは、決して能動的に誰かを欺こうと思ってつくウソではなく、むしろ、相手への思いやりから言わずにおいたこと、という意味合いが大きいと感じたので、北國さんにも了承を得て、タイトルを『かくしごと』に変更しました。
──ラストシーンも原作と大きく変えていますよね。
関根 そうなんです。映画のラストは、原作を読んだ時から、僕の頭の中でこのシーンで終わりたいと思い描いていたものです。
もっといえば、この映画は先ほどのタイトルと、このラストシーンから逆算して作りあげていったと言ってもいいかもしれません。
「今の自分だったらできると思う」という杏の言葉に…
──ラストシーンの感動もですが、里谷千紗子を演じた主演の杏さんの熱演にも、心が揺さぶられました。
関根 僕の中では杏さんはドラマでご活躍されているイメージが強かったのですが、杏さんについて深く知り、出演作を細かく見直していくうちに、彼女なら経験値も含めて千紗子を理解してくれるんじゃないかと思い、ぜひにとお願いしました。
千紗子はとても難しい役どころなので、杏さんに引き受けてもらえるかがカギでした。でも、脚本を読んでくれた杏さんが「今の自分だったらできると思う」とお返事くださって。この「今の自分だったら」という言葉に、「もう既にご自分の中に千紗子が感じている感覚や、義務感みたいなものを持っているんだな」と感じました。
撮影に入ってからはひたすら杏さんばかり撮っていました。杏さんは、ただ千紗子になりきるのではなく、脚本に書いてあるキャラクターをちゃんと掘り下げてくれて、杏さんの俳優としての底力みたいなものも感じました。
「ここは理解できないけれど、ここは共感できる」というふうに自分に落として演じていただけたので、とても自然で生々しい感情を演じる杏さんが撮れたと思います。