もっとも、水原容疑者は暴力性がないことから、連邦刑務所の中でも、レベル1というセキュリティーレベルが低い刑務所に収容される可能性があると言われている。とは言っても、そこが犯罪者たちの巣窟であることに変わりはない。特に、事件でその名が知れ渡った受刑者は暴行の対象になりやすい。刑務所にはドジャース・ファンやオオタニ・ファンもいることだろう。水原容疑者が暴行のターゲットにされる可能性は高いのではないか。
水原容疑者の虚空を見つめるような瞳は…
ところで、日本のメディアが今ロサンゼルスで水原容疑者報道に躍起になっている様は、週刊文春が「疑惑の銃弾」シリーズで報じた「ロス疑惑」の三浦和義氏が再逮捕されて報道が白熱化した2008年を思い出させる。三浦氏は多額の生命保険をかけていた妻をロサンゼルスで殺害した容疑で1985年に逮捕され、日本では裁判で無罪となったものの、共謀罪の容疑で2008年2月、サイパン島で再逮捕された。
その後、ロサンゼルスに移送され、留置所内で首を吊った状態で亡くなっているのが見つかった。自殺の理由について、当時取材をしていた筆者の耳には「三浦氏は恐ろしいアメリカの刑務所に入れられたくないから自殺したのではないか」という声も聞こえていた。
ある犯罪学の教授は、三浦氏の自殺についてこう言った。
「悲しいことです」
たとえ三浦氏がどんな悪人であったとしても、人の死は悲しいことなのだ。教授はそう言いたげだった。あるいは、生きて罪を償わなかった結末を悲しいと感じていたのかもしれない。
出廷した水原容疑者の虚空を見つめるような瞳。その中に映し出されるのは、果たしてどんな結末なのか。