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「R.レーガン」は、2011年3月に発生した東日本大震災発生直後には在日米陸海空軍、海兵隊とともに「トモダチ作戦」にも参加。その巨艦に物言わせ、大量の支援物資や人員を被災地に届けてくれたのを日本人は忘れはしない。また第7艦隊の主力艦として海上自衛隊とも訓練をつづけながら、インド洋や西太平洋上までの広大な海域で警戒監視任務を続け、南シナ海での中国による一方的な力による現状変更に対する「航行の自由」作戦にも参加してきた。
「R.レーガン」が残した最後の人文字
そんな「R.レーガン」は16日10時20分、3,000人の乗員の家族らに見送られながら横須賀基地を煙もたてず出航した。「みんな愛してる」「パパ、寂しくなるよう」子供らが掲げる手作り感丸出しのプラカードに無情にも雨が打ち付ける。
「R.レーガン」はアメリカへの帰路も警戒監視パトロール任務を帯び航海をつづけ、ワシントン州ブレマートンの海軍造船所でしばし長い休暇をとることになる。その間、前方展開空母の日本不在はあえて名を出さんが日本周辺の敵国に列島侵略の機会を与えるだけである。後任には「R.レーガン」と同じくニミッツ級の6番艦「ジョージ・ワシントン」通称「GW」が核燃料積み替え等の改修を終え、すでにアメリカを発ち、横須賀に向かって航行中であるという。
「R.レーガン」が浦賀水道をぬけるころ、その広大な飛行甲板ではクルーが人文字を作って日本人にメッセージを送ってくれた。そこにはひらがなで、いつもの「さよなら」でなく「ではまた」とあった。
撮影 宮嶋茂樹