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姉から話を聞いた親父は、芳夫さんのところに行って「娘があなたのことを気に入っている。どうだ」と頼んだのだそうです。それで交際が始まりました。

芳夫さんは、それはそれはいい人でしたよ。まじめでおとなしくて、でも言うことはしっかり言いました。姉が尻に敷くような関係ではなく、仲のよい夫婦でした。

結婚してからは、最初池袋に家を借りて共働きをしていました。そこからそれぞれ職場に向かっていたのです。ただ、一人息子の芳武君が生まれてから、武藤家の実家に越してきました。

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「開店休業」状態だった女性弁護士としてのキャリア

姉は丸の内の弁護士事務所に勤めていました。ただ、あまり仕事はしていなかったようです。結婚してわずか1年で戦争が始まりましたから。結局弁護士として働いていた期間は、1年もなかったんじゃないかな。姉は「開店休業だった」と話していました。

芳夫さんが召集されて、昭和20年に姉は疎開しました。姉と芳武君、一郎の妻の嘉根と娘の康代の四人です。疎開先は福島の(会津)坂下(ばんげ)町というところです。

そこは大変な暮らしでした。私は父に命じられて一度様子を見に行ったことがあるのです。農家の納屋を借りて、むしろを敷いたところに暮らしていました。水はけも悪く、ノミやシラミがいて、なめくじがはうような家でした。

食べ物も畑仕事の手伝いをしていましたが、ろくなものを食べていなかったようです。自分でも荒れ地を耕していたそうです。むごいことだと思いました。

戦争が終わって、登戸に移っていた武藤家へ帰ってきたのですが、当時は私と、すぐ上の兄貴は学生。その上の兄貴も出征していて戦争から戻ったばかりでした。まだ幼い芳武君を含めた、全員の生活の面倒を姉が見なければならなくなったのです。

姉は「もう私が働かなくちゃ」と言っていました。めそめそとしているのではなく、何か堂々としていたことを覚えています。私は「姉がいるから大丈夫」と思いました。