俳優の中尾彬さんが心不全のため、81歳で亡くなっていたことが分かりました。渋い声と貫禄のある演技、トレードマークの「ネジネジ」やユニークな発言で幅広く活躍し続けた中尾さん。画家志望だった美大生時代や、妻・池波志乃さんとの“終活”まで語った阿川佐和子さんとの対談をあらためて公開します。(全2回の前編/続きを読む)

※初出:「週刊文春」2019年3月21日号。年齢、肩書は当時のまま

中尾彬さん ©文藝春秋

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阿川 こんにちは。去年、『終活夫婦』(講談社)という本を出されて、いま中尾さんと、奥様の(池波)志乃さんの終活が話題になってますね。

中尾 もう覚悟する年齢ですから(笑)。今年77歳になりますし。

阿川 でも、奥様は私よりお若いんですよ。

中尾 そうなの? うちのは、20歳くらいで出会ったときから30歳くらいに見えましたから(笑)。そうそう、阿川さんの話は、民藝という劇団にいた頃、先輩の芦田伸介さんから聞いていましたよ。

阿川 芦田さんは私の父と博打仲間だったんです。父とハワイ旅行に行ってまで花札かなんかをしていて、芦田さんの奥様が「博打ばっかりしてないで、ハワイの夜景でも御覧なさいよ」と言ったら、「そんなの絵葉書で見られる」とおっしゃってました(笑)。

中尾 ハハハ、いいねえ。おたくのところで飼ってた犬の名前が「シンスケ」だったんでしょ?

阿川 そうです。父が冗談で「この馬鹿シンスケ!」とか呼び捨てにできるようにって(笑)。

中尾 僕が芦田さんに「たぶん、それは呼び捨てにできるように名前をつけたんですよ」って教えてあげたら、「えっ、そうなのか!?」って。それまで気付いてなかったみたい(笑)。

中尾彬さんと阿川佐和子さん ©文藝春秋

美大出身、画家を目指していた時期も

阿川 そんな繋がりがあったとは(笑)。でも、民藝に在籍してらしたのはそんなに長くなくて……。

中尾 7年くらいですね。元々、日活ニューフェイスに合格したんだけど、もっと芝居が上手くならなきゃと考えてたんです。で、色んな映画を観てたら、上手い人はみな民藝の出身だったので、「ここで学ぼう」と。

阿川 そもそも、中尾さんはいつから俳優を目指したんですか? だって、大学は武蔵野美術大学で、画家を目指していらした時代もあったんでしょ?