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中尾 出ますね。でも当時は分からないから、絵は趣味でやろうと決断したとき、役者のことを思い出したんです。ちょうど日活が第5期ニューフェイスを募集していて、約4万人の中から13人に選ばれました。

阿川 とんでもない倍率!

中尾 高橋英樹とかが同期ですね。そうして映画にしばらく出てたんだけど、同じような映画ばかりだし、五社協定があるから、他の会社の映画には出られない。ちょうど、映画が下火になって、テレビが伸びてくるなという予想もあって、日活を辞めて、先ほどお話しした民藝に行くんです。

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©文藝春秋

阿川 絵と同じで、諦めるのちょっと早くないですか?

中尾 だって、先が見えちゃってるから。ただ、映画の世界がちょっと嫌だなと感じただけで、演技は続けようと思ってたからこそ、新劇の世界に行くんです。いまや、新劇という言葉もなくなったけどね(笑)。

金属バットを持って殴り込みに行ったことも

阿川 新劇って呼んでましたよね。当時は舞台といっても、エンターテインメントというより、自分たちの志とか思想が……。

中尾 そうそう。そっちのほうが先に行って、同じ旗印のもとに集まってこなかったら、別の派閥だと思われちゃうような時代でした。いいか悪いかは別にして、それが活力になってた部分はあると思うんです。民藝は宇野重吉さんがトップでしたけど、独裁体制がひどくてね。一度、殺してやろうと思って、金属バットを持って家に殴り込みに行ったことがある(笑)。

阿川 えっ、ほんとに!? それ面白すぎるんですけど。

©文藝春秋

中尾 ある日、宇野さんの家の庭で待ち伏せてたんですけど、帰ってこない。そうこうしてると雨が降ってびしょ濡れになって、いったん諦めて家に向かって歩いてたら、金属バットを持ってるから警官に捕まってしまったんです。しかも、ちょうどソビエトの『イルクーツク物語』という芝居をやってたものだから、ソビエト共産党史みたいな本が鞄に入っていて(笑)。

阿川 フフフ、完全に危険分子ですね。

中尾 結局、交番で2時間くらい雨宿りして、パトカーで家まで送ってもらって恥ずかしかった(笑)。その後、正式に宇野さんに「映像のほうに行きます」と言って辞めるんです。一応、慰留してくれて「若いのがいないから、残ってくれたら給料上げる」なんて声をかけられたけど、給料の問題じゃなかったから、「この人と話してもダメだな」と思って帰りました。