彼らと同い年のタシは、すでにプロとして活躍し、他を寄せつけない圧倒的な才能を発揮していた。
実際のところ、ゼンデイヤが扮するこのタシの存在感は圧倒的で、その華やかさと力強さに魅了されたアートとパトリックはやがて恋敵となり、その後の波乱万丈なできごと――タシとパトリックの交際、別離、怪我によるタシの引退、コーチへの転身、タシとアートの結婚、アートの栄光、パトリックの挫折など――を経て、13年後にチャレンジャーマッチで再会する。
この映画はただの凡庸なメロドラマではない
このようにストーリーをたどるだけなら、『チャレンジャーズ』は彼らの三角関係をめぐる、10数年越しのメロドラマのように思えるかもしれない。
しかしこの映画はただの凡庸なメロドラマではない。
この映画の特異で、奇抜で、尋常でない点のひとつは、なんといっても音楽だ。
『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー賞作曲賞を受賞したトレント・レズナーとアッティカス・ロスによるスコアは、オープニングから激しいリズムを刻みつづける。テクノやハウスやエレクトロニック調のダンスミュージックが、スクリーンを揺らさんばかりに休みなく鳴り響く。
音楽や映像は刺激的なだけでなく、もはや煽情的
劇中で流れる音楽、いわゆる劇伴にはシーンの空気や感情を下支えし、あるいはまた強調する機能がある。場合によっては、あえて違う角度の音楽をぶつけることで、シーンが内包するエモーションを引きだしたりもする。
ところがこの映画の劇伴は、ときとしてシーンとはまったく無関係に、ずんずんと重低音を打ちつける。これまでの劇伴の概念を大きくはみ出す、この音楽がそれでも作品のために機能し、そこになにかをもたらしているとすれば、それは刺激だ。
そもそも『チャレンジャーズ』は刺激の塊みたいな映画なのだ。
音楽以外にも、たとえば撮影はコート下からのアングルや、ラリーの応酬でコートを行き来するボールのアングルを取り入れ、アートとパトリックのテニスシーンを、テニスシーン以上の刺激的なものとして映しだす。それらの音楽や映像は刺激的なだけでなく、もはや煽情的だとすらいっていい。
『チャレンジャーズ』は煽情し、感情や情欲をあおり、欲望を喚起する。