「血液が両手の指の間から大量に溢れ出してくる状態でした。大量の血液で、付近のアスファルトの色が暗い色にだんだん変わっていくのがわかりました。普段講習でやっている人形とは全然違う感覚で、今でも手のひらにあの感覚が鮮明に残っています」

 16年前の2008年6月8日、加藤智大は東京・秋葉原の交差点に2トントラックで突っ込んで通行人5人をはね、降車した後に通行人ら17人を用意していたダガーナイフで刺した「秋葉原通り魔事件」。7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。2015年に死刑が確定し、22年に死刑が執行されている。

秋葉原での通り魔事件では7人が死亡した ©時事通信社

 この事件で、現場で救命活動に参加した民間人の男性がいた。病気やけが人が出たときにその場に居合わせ、応急処置にあたる人を「バイスタンダー」と呼ぶが、当時の現場は凄惨なもので、今でも悪夢を見ることがあるという。その男性に当時のことを語ってもらった。

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「人込みを抜けたら警察官と倒れている方の姿が見えました」

「秋葉原通り魔事件」に居合わせ、救命活動に参加したのは西村博章さん(39)。当時は筑波技術大学に通い、理学療法士を目指す大学生だった。幼い頃に見たテレビ番組をきっかけに、救急救命士になろうと思ったが、先天的に視力が弱く、視野が狭いという視覚障害があり断念。

 それでも救命について独自に学び、民間資格を取得していた。臨床工学技士という生命維持装置の操作などを担当する国家資格も持ち、病院での勤務経験もあった。

 事件当日は、東京ビッグサイトで日本臨床救急医学会に出席していた。その帰りに秋葉原で友人に頼まれていた買い物をするため、路地裏の電気店へ向かった。西村さんが店を出て駅へ向かって歩き出したのが12時30分ごろ。つまり加藤が交差点にトラックで突っ込んだ時間帯である。

西村さんが救命活動を行った秋葉原の路地

「駅の方へ向かうと、目の前に人だかりができていました。『すいません。ちょっと通してください』と言って通り抜けようとしたら、人がいない空間がありました。『あれ、どうしたんだろう?』と思ったら、警察官と倒れている方の姿が見えました」

 場所は、加藤が警察に逮捕された場所から近い、神田明神通りと中央通りの交差点から1本南側へ入った路地。路上に男性が倒れ、それを野次馬が遠巻きに囲んでいた。