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「年収が5本いった年も」代ゼミのカリスマ世界史講師が語る90年代の狂乱の“予備校バブル”のリアル「あの頃に文春があったら終わってたかも…」

代ゼミ世界史講師・佐藤幸夫氏インタビュー#1

2024/06/16

genre : ライフ, 社会

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 教育系YouTuberが乱立する中、この2年で猛烈に再生回数を伸ばしている動画がある。『ユーテラ授業チャンネル』の世界史授業動画だ。教えるのは、代々木ゼミナール・世界史講師として30年以上のキャリアを持つ、佐藤幸夫氏。

 実は、2021年にエジプトに移住するも現役の代ゼミ講師であり、私生活では3回の結婚を経て、現在は3歳と0歳の子育てに奮闘中という。これまでどんな人生を歩んできたのか、一時帰国中の佐藤氏に訊いた。(全4本の1本目/2本目を読む)

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©文藝春秋 撮影・末永裕樹

──佐藤さんは、バブルが絶頂だった1991年に代々木ゼミナールに入ったそうですね。

佐藤 そうなんですよ。僕が大学に入ったのが1986年で、卒業が91年。だからちょうど、日本が好景気まっしぐらだった頃ですね。

 どれくらいバブルだったかというと、家庭教師のアルバイトをすると時給2万円くらい。僕は家庭教師と塾講師を掛け持ちしてたので、学生でも月50万くらい稼いでました。

──それはすごい。

代ゼミの講師3年目で、年収750万円だった

佐藤 で、大学で中高の教員免許を取って東京都の教員採用試験を受けたものの、なかなか受からなくて。卒業後、代ゼミで講師をしながら教員を目指しました。受験4年目で、私立女子校の教職に6つ受かったんです。

──女子校の世界史講師、いいじゃないですか。

佐藤 ただ、代ゼミの講師も3年やって、給料がそこそこ上がっていたので、迷いました。当時の年収で750万円ぐらいもらってたんです。

──3年目でそんなに? 

佐藤 予備校文化というのがまだ残っていた時代で、どの予備校も盛り上がってましたね。だから、すごく悩みました。

代ゼミ講師3年め、インドを旅する1993年の佐藤さん。タージ=マハルよりもTシャツに目が行きそうになる(本人提供)

──高校教師をとるか、代ゼミをとるか。

佐藤 僕が教員を目指したのは、教えることが好きだったし、子どもたちと一緒に学校生活を楽しみたかったから。たとえば文化祭や修学旅行で盛り上がったり、部活の顧問もやりたかったし。今もまだ、学校で教えてみたい気持ちはあります。

 ただ、ちょうどその頃、代ゼミがサテライン映像授業を始めるところだったんですよ。僕は当時20代の若造でしたが、世界史の講師はご年配の方が多くて、「世界史から映像に講師を出すなら、ゆきおだろう」という話になったと聞いています。

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