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──アクション派なんですね。

佐藤 代ゼミ講師になったときから、生徒をいかに飽きさせず、楽しませながら教えるかを考えていました。そしたら、僕の授業を取る生徒がどんどん増えて、授業前には教壇に差し入れが貢物のように乗ってたりして。だから、若い頃はちょっとした芸能人気分で、勘違いしてましたね。

──90年代の予備校講師は、年収が1億円を超えたり、スーパーカーで予備校に乗り付ける人もいたと聞きました。

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佐藤 中にはそういう先生もいたと思います。だいぶ昔の話なので細かくは覚えてないですが、僕も印税などを含め、年収が5本くらいいった年もありました。でも、当時は毎日の授業が楽しすぎて、いくらもらっているとか気にならなかったです、本当に。

©文藝春秋

「コマ給で10万円近くもらっていた人もいたと思いますよ」

──それにしてもすごい額です。

佐藤 でも、やっぱり体を壊しますね。講師の給料は「単価×授業のコマ数」で、人気が出ればコマ数が増えて儲かるんです。僕が代ゼミに入ったときは、90分授業のコマ給が1万2000円。ベテラン講師だと、コマ給で10万円近くもらっていた人もいたと思いますよ。ただ、給与の話題は講師間ではタブーだった気もします。

 で、すごく稼ぐ人は、それだけ働きまくるんですよ。僕も多いときは、週30コマの授業を持ってました。1日5コマを週6日、しかも札幌や名古屋、福岡など、日本各地の校舎を回るんです。

1994年の佐藤さん。イスタンブールのボスポラス海峡にて(本人提供)

──それは忙しいですね。

佐藤 ものすごく忙しかったです。でも、今振り返ると僕はラッキーだったと思います。二重の意味で、いい時代でした。

──二重の意味?

佐藤 はい。僕がツイていたと思うのが、まず「教科が世界史だった」。僕が代ゼミに入ったとき、世界史には武井先生と山村先生という神のような二大巨頭がいらして、さらにめちゃくちゃ優秀な先輩が数名いらっしゃって、次が僕。同世代の先生がほとんどいなかったので、講師同士の潰し合いもなかった(笑)。