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危機を知らせるスイス・フラン

 欧州の中央に位置しながらも、ユーロには参加せず、いまだにスイスは独自通貨のフランを用いています。永世中立国で、経済的にはむろん、政治的にも独立・安定しています。

 歴史的にはその地理上のメリットを生かした交易が盛んにおこなわれ、保税倉庫産業などが古くから発展してきました。保税倉庫は、税金が課される前に外国からの輸入産物を保管しておく場所ですが、再加工の場としても機能します。商品取引が効率的に行えることで、国際貿易も円滑となります。金やダイヤモンドなどの有形資産の保全から始まり、金融資産の管理へ。それがスイスの金融産業の発達へと繋がっていったのはある意味自然の流れでしょう。

 少し前まで、そのスイス・フランと日本円は、とても近しい通貨の特性を持つとされてきました。

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 主要国の中でも、スイスと日本の政策金利は常々「低め」に設定されているため、平時は円と同じように、フランはキャリー(金利差)トレードの際の調達通貨の対象となります。キャリートレードは、金利の低い通貨を借り入れ(調達)、高金利国の資産で運用する方法です。

 しかし、ひとたび有事=経済・金融の非常事態が起こると、投資家は金利差を利用して資産を増やすことよりも、資産の目減りを防ぐため投資を解消する行動に出ます。その結果として、平時にキャリートレードのために売られていた円やフランは一転して、「安全な資産の避難場所」となり、買戻しされます(キャリートレードの巻き戻し)。

 金融市場を大きく揺るがす事象が起こると、その都度キャリートレードの巻き戻しによるフラン買いや円買いが発生してきました。

岩本さゆみ氏

 1990年代にはアジア通貨危機があり、ロシアのデフォルトとそれに続く米系大手ヘッジファンドの破綻がありました。特に後者の際には、巨額の円キャリーの巻き戻しがあったため、ドルは147円台から2か月で111円台まで急低下。円安が数十円進むには2〜3年かかるものですが、元に戻るのは数か月。斯様に「円高のスピードは円安よりも格段に速い」という特徴があります。

 2000年代の欧州債務危機でも、世界中の投資資金が安全資産・避難通貨であるフランへと流れ込みました。対ドルのフラン高のピークは2011年8月。円も安全資産・避難通貨として機能していたため、2011年10月に史上最高値1ドル75円台を付けることになりました。

 9・11同時多発テロの際も、2か月前から、巨額のフランが買われました。「誰かがテロを事前に知っていたのか?」と思わせるフランの動きでしたが、いずれにせよ、その動きは、ニュースや確固たる情報がなくとも事前に「ひずみ」として、差し迫る危機を知らせる「狼煙」のようなものになる――少なくとも私自身は、為替取引の現場でフランをそのように捉えてきました。

 ですから、2019年末には、対主要通貨でのフラン高が気になり、要注意とした上で「その意味を考える時期に差し掛かっているのかもしれない」と某通信社に寄稿しました。当時、新種の感染症が中国で発生した程度のニュースは認識していたものの、その後のコロナ禍が予見できていたわけでは全くありません。コロナ明けに当時の編集長と再会した折、「フランの危機察知」の感度に驚いたと言われました。

本記事の全文は「文藝春秋」2024年6月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「投資家必読! 円安が続かない理由」)。