半世紀を経て、はじめて姿をあらわした、ピエロ・スキヴァザッパ監督の『男女残酷物語/サソリ決戦』は、当時のフェミニズムに対する男の側のスーパー・マゾヒズムな回答である、面白れぇ。
アンチ・フェミニズムを語り、美体を誇示する男だったが…
女性が失神させられ気がつけば監禁、とくればふつうにその先に待つのは、隷属させるためのさまざまな調教(特にメソッドと化した性的な)といっていいが、このイタリア映画もそこは裏切らない。
囚われた女(ダグマー・ラッサンダー)の硬質な裸体、ほどよい小ぶりな乳房があなたのゲスな期待を裏切らない。部屋に組まれた格子とやわらかな女体の曲線の対比。なぜ、わたしなの? だれにも言わないからおうちに帰して、どうか殺さないで、女は泣く。
しかし、映画はゆっくりと原題Femina Ridens(英語タイトルThe Laughing Woman)の意味を明かしていく。
最初、アンチ・フェミニズム、女性憎悪の思想を声高に繰り返し語り、全身筋肉といっていい美体を誇示していた男(フイリップ・ルロワ)にとって、女の調教がじつは相互的以上にせつない試みとわかってくる。
美女惨殺写真とかの脅迫的素材は、興奮のための趣味的フェイクであった。頃合いを見計らって、焦らしながら女が、〈ある絶頂〉を逆提案する。
意識が肉体にむかう無駄のない空間
この映画が古びてみえない理由に、2人だけの調教空間が、デザインのモダーンによって、ジム施設のように無駄がないことがあげられる。意識が肉体にむかう。