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「1本やってみて、嫌だったら辞められますから」

翔田 介護の勉強を始めた頃、友達が渋谷で「熟女AVに出ないか」ってスカウトをされたんです。

「面白そうだから話だけでも聞いてくれば?」と、軽いノリで話していたら、どうやらトントン拍子で進んだらしく、次に会ったときには、「もう芸名も決まって、明日撮影なんだ」って。それを聞いて、なんだか面白そうだなと思って。

©文藝春秋

 私の性の目覚めは日活ロマンポルノだったんです。だから、AV女優という仕事についても、「日活ロマンポルノの女優さんみたいなお仕事なのかな?」「『団地妻』シリーズみたいな感じかな?」という考えがあって。芸術的な魅力もあると思っていたし、ちょっと経験してみようかなと思ったのがとっかかりです。当時、離婚してから5年くらいで性生活もなかったというのもあったかもしれません。

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――そこから、すぐに行動に移されたんですか?

翔田 すぐではなかったんですが、考えた結果、一度、話だけでも聞いてみようと思って。友達とは違う事務所を求人誌で見つけて、話を聞きに行ってみました。求人誌に見開きで広告を出稿していたので、ちゃんとした事務所なんだろうなと、特に不安もなかったです。いざ、行ってみると、女性の社長、女性のマネージャーさんから、「1本やってみて、嫌だったら辞められますから」と誘われて。それで今の業界に入ってきました。

――そこからは、介護の道ではなくて、女優一本でという思いで?

翔田 2005年の8月1日に事務所に入って、その月にはもう仕事が決まったんですけど、女優一本とまでは考えていなかったですね。

©文藝春秋

 むしろ、その年にいろいろ出演させていただいて、「全然日活ロマンポルノみたいじゃないな」「なんかやだな、エグいな」と思っていたくらいです。女優さんのお芝居とかドラマとかじゃなくて、セックスそのものしか撮らないから。

 あと、ドキュメンタリー風の作品ばかりだったので、事前に思い描いていた、女優として“もう一人の人格”を生きるのではなく、私がそのまま出て身体が剥き出しになっているみたいな思いがあって。

――生々しさに嫌悪感を覚えられていたということでしょうか。