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《ススキノ首狩り殺人事件》歪な愛情で結びついた“田村親子の闇”を祖父はどう見ていたのか「まさか人を殺してくるなんて…」

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 昨年7月、札幌市ススキノで起きた「首狩り殺人事件」。被害者Aさん(当時62)の首が切断された猟奇的事件について、今年6月4日、死体遺棄ほう助と死体損壊ほう助の罪に問われた田村浩子(61)の初公判が札幌地裁で行われた。

 殺人などの罪で起訴された娘の瑠奈(30)、そして父で精神科医の修(60)の裁判は、後日裁判員裁判で審理される。“瑠奈ファースト”とされる異様な親子関係はどのように生まれたのか。逮捕直後の記事を全文公開する。

初出:「週刊文春」2023年8月3日号

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娘の溺愛を続けた両親

 修は1988年、旭川医科大学を卒業。当初は外科医を志したが、血が苦手で精神科医の道を選んだのだという。08年からは札幌市にある勤医協中央病院精神科のリエゾン科科長として勤務していた。社会活動にも熱心で、過労死など職場のメンタルヘルス、地域のホームレスやアルコール依存疾患の問題に積極的に取り組んできた。

 また、兵士が戦地や軍事演習で心理的な負担を負うことで発症する“コンバット・ストレス”にも強い関心を寄せた。修は「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」の北海道・東北支部代表幹事として、同会の講演にも登壇していた。

 プライベートでは、音楽活動を続け、仲間たちと組んでいたバンド内でギターやボーカルを担当。SNS上では、奇抜なメイクをしてマイクを握る本人らしき姿も確認できる。

修容疑者は音楽活動が趣味(本人のSNSより)

学校に馴染めず、小学校の途中で札幌に移住

 一方、パート従業員だった浩子は、修が医大生時代を過ごした旭川市の出身だという。祖父が続ける。

「浩子は学芸員の資格を取って、旭川の美術館で働いていた。修とは、旭川で出会って、浩子の絵を見に行ったり、修のバンドに浩子を招いたりして、意気投合したんでないのかな。瑠奈が生まれる1年か2年前に」

 そして、2人の間に瑠奈が誕生したのは、94年2月。2人の愛情をたっぷり受けて育てられた。瑠奈が5歳だった99年頃、1年ほど千葉県に住んでいた一家は、週末によく葛西臨海公園を訪れていたという。

 一家が札幌市厚別区に越してきたのは、04年のこと。だが、人付き合いが苦手だったという瑠奈は、その頃から学校生活にも馴染めずにいた。別の近隣住民が振り返る。

「越してきたのは瑠奈さんが小学校の途中の頃でしたが、お母さんの話だと、その前の小学校の時から不登校気味だったようです。中学校も同じような状況だったようで。高校は私学に行ったようです。漫画が好きな子だと聞きました」

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